【主日礼拝 】                                  2011年9月11日 

『迷い子』

ルカによる福音書15章11-32節

アウンダウンライン執事

 皆さんは毎日をどのように過ごしていますか。周りの環境に合わせながら生きているのではないでしょうか。そうしているうちに時には自分を見失い、悪を好む時がありませんか。そんな私たちでもイエス様がその罪を許し、大切な息子として迎え入れて下さっています。
 聖書でもそのことを教えるたとえ話として、迷いの中に生きていた二人の息子の話があります(11~19)。弟は自分の頂ける財産を父親から受け取り、それを放蕩生活にあてました。最初は楽しい毎日を送っていました。でも財産がなくなると周囲から見放され行き場を失って、そのときに父親の偉大さを思い知らされました。私たちもこの息子のように神様から恵みを頂きながら自分の好きなように生きていませんか。今は楽しい人生を送っているかも知れません。でも苦難に遭遇する時が必ずあります。絶望した時のこの息子のように自分の罪を認め悔い改めることができるでしょうか。これが出来る時に希望が見えてきます(20~23)。神様は私たちの父として私たちが悔い改めて帰ってくる時を待ち望んでいます。
 一方、体が父親の側に在りながら心が遠ざかってしまった兄。弟と違って父親に仕えていることに誇りを持ち、周囲からも尊敬されていたと思われます。弟を批判し、父親にとって自分が一番良い息子だと思っていたかも知れません(ルカ15:25~30)。この兄のように私たちも教会生活を送りながら時にはクリスチャンとして自分が正しいと考え、自分と比べて相手を批判することはありませんか。もしあったら、そのときに父親のように私たちを愛してくださっている神の愛を思い出してください。
 悔い改めることで私たちは無条件で罪が許されて救われ、神の息子として受け入れられているのです。これは私たちの努力で得られたものではありません。テトス3:5に書いてあるように、この救いはイエス様の愛によって得られたのですから、私たちはこの愛を分かち合い、またこの愛を求めている方には手を差し延べて、神様が喜ばれるクリスチャンになるのです。


 
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