【主日礼拝 】                                  2011年9月18日 

『祈 り』

詩編102編2節

山岸 明牧師

 自分の願い事をするだけの祈りなら、それは、いつも一方通行になってしまい、自分の思いを達成するための道具や手段となってしまいます。イエス様の祈りは、願いだけではなく、一方通行でもなく、神様との交わり、対話であることが分かります。祈りとは、自分自身を神さまに委ね、神様のなされるようにお任せをし、そして、私たちの心に語りかけられる神様の御声を聴くことです。私たちの祈りはどうでしょうか。神様との交わりになっているでしょうか。神様の御声を聴いているでしょうか。
 では、神様と交わるにはどうしたら良いのでしょう。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示録3:20)。なぜ、私の心の戸口にたってたたくのでしょうか?神様は私たちと親しく交わりを持ちたいと願っているからです。
 私たちが神様と深い交わりをするための方法にデボーションがあります。これは「祈り、黙想」することです。イエス様も弟子たちも困難、艱難の中を力強く歩めたのは、このデボーション、神様との交わりがあったからです。祈り、黙想する中で神様の御声を聴き、自分の生きている目的を知り、与えられた使命を発見し、進むべき道を示され、確信を持って歩んでいきました。その力と勇気はこのデボーションを通して与えられたのです。
 では、デボーションをするにはいつ行うのが良いのでしょう。
イエス様はどうだったでしょうか。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)とあります。朝、静かなところで、祈りの時間を過ごされました。朝一番で、神様との交わりを持ってスタートすることは、一日の始まりの備えをする事なのです。食事の中で朝食が最も大切であるように、霊的にも朝食をしっかりとることが大切です。私たちもこれからデボーションをしっかりと行っていきましょう。祈りは、余った時間でやるものではありません。最優先課題として取り組んでいきましょう。


 
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