【クリスマスイヴ礼拝 】                                  2011年12月24日 

 『幸いな者とは』

ルカによる福音書1章26-38節

山岸 明牧師

 マリアのもとに天使があらわれて言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(28) 「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」(29) すると天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」(30)「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」(31) マリアは天使に言った。「どうして、そんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34) マリアに告げられた突然の知らせは、これからの人生計画を台無しにする知らせでした。彼女は説明のつかない出来事に遭遇してしまったのです。
 私たちの人生でも、予想もつかない出来事に遭遇して、自分の思いとは全く逆方向に行ってしまうことがあります。これで大丈夫、と信じて決断をしたが、やる事、なす事、裏目に出て、後悔する日々もあります。また、神様に頼っても無理だと考えて失望したり、諦めたり、人生投げやりになってしまう事もあります。しかし、神は私たちに「大丈夫、心配ない」と仰せられます。人間にとって不可能なことでも「神にできない事は何一つない。」(37)と仰せられます。私たちはいつも、神だってそんな事は無理だ、不可能だ、出来るわけがないという思いと、神に不可能はないという思いが常にぶつかり対立します。自分の考えをどちらに従わせるかが大きな鍵です。
 マリアは説明のつかない出来事に遭遇してどうしたでしょう。思いもかけない状況の中で「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(38) これがマリアの応答でした。受け入れがたい事を受け入れていく、それは諦めでもなく絶望でもありません。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(45)  自分の願いや思いだけに生きる人は、恐れや不安と隣あわせにあり、神の希望に生き、神の約束を待ち望む人は、たとえ行き詰まり、八方ふさがりとなったとしても、神に不可能はない、神は何でもお出来になる、そんな確信の中で力強く歩むことが出来るのです。クリスマス、それは救い主の誕生、それは待ち望む者に与えられた生きた喜びです。今はもう救いがイエス様によって完成されています。後は私たちがこの恵みを受け取るかどうかです。また、自分は本当に受け取っているかどうかを吟味するときです。 


 
福音メッセージ一覧
戻る
                  

福音メッセージ一覧

集会案内

質問・メール

キリスト教イロハ

聖書を読む