【主日礼拝 】                                  2012年2月12日 

 『神が起こし、人が駄目にする』

ヨエル書3章1-5節

山岸 明牧師

 「わたしはすべての人に霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」(1−2)。神が聖霊をすべての人に注がれる時、リバイバル(信仰復興)が起こります。いつ、どこで、どういう規模で、神様がリバイバルを起こして下さるか、それは誰にも分かりません。戦後、日本でもリバイバルが起き、多くの人が救いを求め、教会に押し寄せて来ました。

 ところがリバイバルの火はどんどん消えていき、波が引くように人々は教会から去って行きました。どうしてそうなったのか、それは人間自身が終わらせてしまったのです。神様の祝福を無駄にしないようにと、厳しさを打ち出し、禁酒禁煙。教会の清さを守るために、結婚もクリスチャン同士、牧師が認めたものでなければならない、中途半端であってはならない、清廉潔白を求めたのです。
 
 教会から自分の居場所がなくなり、教会は未熟な者が行くところではない、これが今でも言われる『教会の敷居が高い』。罪人が来るところが教会なのに、罪人のような者は教会に行きにくいとなってしまったのです。神様が起こしてくださった出来事を、人が駄目にしたのです。

 私たちの信仰はどうでしょう。イエス様を信じて救われたけれど、その後、信仰が後退し、勝利の約束を与えられているにも関らず、敗北の信仰生活をしているクリスチャンが多くいます。信仰の熱意が薄れ、祈りにも力がなく、聖霊の働きも意識しない。神様が起こしてくださったリバイバルを人間がとめてしまったように、神様が与えてくださった信仰を、私自身が駄目にしている事もあるかも知れません。私たちはイエス様によって自由とされた者です。何を恐れているのでしょうか。何に縛られているのでしょうか。何が喜びを奪っているのでしょうか。主は今も、この御言葉を通して、私たちの信仰のリバイバル(復興、回復)を呼びかけています。


 
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