【主日礼拝 】                                  2012年3月11日 

 『最高のものを描こう』

ヘブライ人への手紙11章1-2節

山岸 明牧師

 私たちは神様に色々な事を期待します。希望も抱きます。でも、それは信仰ではないと言います。「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(1)。それは、信じているものが真実であり、期待しているものが必ず来ると確信する。希望は単なる憧れではなく、確信を持って待ち望む。希望とは可能性に期待をかけるのではなく、揺るがぬ確信に立つ事です。私たちの信仰は人生の確信となっているでしょうか。「信仰を持って生きているかどうかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい」(2コリント13:5)。私たちは信仰を今一度吟味したいものです。「昔の人たちは、この信仰によって神に認められました」(1)とあります。                             
 ノアの信仰:民は神様の前に堕落し不法に満ちていました。神様はノアに言われた。見よ、わたしは肉なるものを終わらせる。あなたは木の箱舟を造りなさい。ノアは神様を信じて舟を造りました。太陽が照っている間はノアのしている事は馬鹿らしく見え、人の目には愚かに見えたでしょう。人々が神を忘れ、神様を無視する時代にあって、ノアは神を確信し、神様のために生き、信仰によって正しい人と認められました「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(6)とあります。
 アブラハムの信仰:アブラハムと妻サラの間に子供が生まれるという約束が与えられたとき、アブラハムとサラは笑いました。子供のできる年齢はとうに過ぎているのに、どうして子供ができるというのか、しかし、アブラハムは、約束して下さった方が神様であるという事に気がつきます。神様が約束して下さったのならそれは真実に違いない。神様には偽りがないからです。信仰とは見えない事実を確認する事です。
 モーセの信仰:エジプトの奴隷とされていたイスラエルの民を救い出し、40年の旅を続ける中で、神の命令に従うとき、そこに、どんなに大きな障害があっても、神様は助け、それを乗り越えさせる勇気と力を与えてくれると確信しました「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)三人とも見えない事実を確信しました。神様が与えて下さるものは、私にとって最高のものである。それを心に描いたのです。私たちも最高の光景を描きながら生きましょう。「あなたがたの信じたとおりになるように」(マタイ8:13)。


 
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