【主日礼拝 】                                  2012年3月25日 

 『驚くべき祈り』

マルコによる福音書14章32-42節

山岸 明牧師

 
 私たちは日々、いろいろな祈りをします。感謝の祈り、願い求める祈り、切実なる祈り。イエス様は迫り来る十字架を前に切実なる祈りをしました。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(36節)。ここに3つの驚くべき祈りがあります。

 1「アッバ、父よ」これは天のお父様、そんな堅苦しい呼び方ではありません。もっと身近な『お父ちゃん』です。この宇宙をつくられ、天も地もすべてをご支配しておられる偉大な神様をお父ちゃんと呼んだのです。神様に向かってこんな大胆な呼び方があるでしょうか。同じように、私たちも格好をつけないで、お父ちゃんと叫んでも言いのです。神様は遠いところにいて、遠くから見守ってくれている方ではなく、いつも、どんな時も、共に居てくださる『お父ちゃん』なのです。

 2「神様は何でもおできになる。この杯をわたしから取りのけてください」私たちは神様に祈るときに、神様は何でもおできになれるお方だと信じて、信頼して祈っているでしょうか。聞かれても、聞かれなくても、どちらでも良いと思っていませんか。イエス様は自分が受けなければならない十字架という苦しみを、避けられるものなら避けさせてくださいと強く願い求めました。私たちも正直に真剣に祈ってみてはどうでしょうか。

 3「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行なわれますように」この祈りは他の宗教にはないものです。イエス様は自分の願いを第一にするのではなく、神様のご意志を優先する祈りをされたのです。結果、イエス様の切実なる祈りは聞かれませんでした。それだけ見ると、何と薄情な神様なのかと思ってしまいます。しかし、それだけで終わりませんでした。それがイースター(復活)へと続くのです。もしイエス様の十字架の死がなかったら、私たちの救いはありませんでした。聖書にあるように「万事が益となるように共に働く」(ローマ8章28節)。私たちの苦しみについても、神様は実は別の意味を与えようとしておられるのです。そのことを信頼して大胆に『御心がなりますように』と祈ってみましょう。


 
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