【イースター主日礼拝 】                                  2012年4月8日 

 『驚くべき復活』

ヨハネによる福音書11章17-27節

山岸 明牧師

 
 主イエスは金曜日に十字架につけられ殺され、墓に葬られました。この死によってすべてが終ったとだれもが思いました。日曜日の朝、女性たちがイエス様の体に香料をぬるために墓に行ってみると、主イエスの遺体はありませんでした。女性たちが途方にくれていると、天使があらわれ「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(マタイ24:6)女性たちはびっくりして、この出来事を弟子たちに伝えました。弟子たちは女性の話を聞いて「たわごとだと思った」と記されています。

 聖書はこの『驚くべき復活』を、私たちに、理解させようとか、納得させるようとか、その部分だけを特別に多く取り上げている訳でもなく、当たり前のように主イエスは復活した事を書き記しています。これが聖書の偉大さ「神にできない事は何ひとつない」(ルカ1:37)仰せられているように、逆に『復活』を聞いて、あなたがたは何を驚いているのか、あなたの”ものさし”でわたしをはかるな、その小さな脳で、あなたの数十年の人生経験で、そんな事があるはずが無いと言って、神様をはかる事はできないのです。

 しかし、復活がどんなに素晴らしい事であっても、自分と関係のない出来事とするならば、私たちには何の力にもならず、喜びにもなりません。しかし、復活された主イエスを信じるならば新しい自分となって生まれ変わる事ができるのです。なぜならば「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(25)と主イエスは仰せられた。命とは『私は誰なのか』『なぜ生きているのか』方向も目的も知らずに走り続けることほど不安な事はありません。私たちの『命』について、聖書はその答えを持っています。復活の主イエスと共に歩む者は、人生で色々な問題が起きても、必ず解決の道を、忍耐する力を、それを乗り切る力を与えてくれます。そして、私たちは人生の中で死を打ち破って、世に勝利された主イエスの愛を体験するのです。神様が与えてくださる新しい命をぜひ受け取ってください 。


 
福音メッセージ一覧
戻る
                  

福音メッセージ一覧

集会案内

質問・メール

キリスト教イロハ

聖書を読む