【主日礼拝 】 父母の日                                 2012年5月13日 

 『喜びの訓練』

テモテへの手紙(二)3章16-17節

山岸 明牧師

 聖書は、聖なる書物と言われ「聖」に込められた意味は分離であります。他の書物から分離された特別な書物と言う意味です。聖書は私たちを救いへと導き、人が真実に生きる道を示します。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(16)聖書は私たちの人生の基準であると共に、私たちの人生に起こるすべての問題の答えです。

 聖書は私たちを訓練し成長させてくださいます。昔、荒れ野でイスラエルの民が訓練を受けたように、私たちも人生の荒れ野で訓練を受けるのです。「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」(ヘブル12:11)
 
 「主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」(申命記8-2)。彼らにはとても辛い四十年の旅でした。飢えと乾き、将来への不安、死への恐れ、不満の日々でした。しかし、空腹になると天からマナが降ってきてお腹が満たされた。のどが乾くと岩から水が出てきた。ふと気がつくと「あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」(申命記8-4)。思い起こしてみると、その一つ一つが試練の中で受けた祝福でした。私たちも慌ただしい社会の中で一度、自分の人生をゆっくりと思い起こしてみてください。辛い事、悲しい事の中にも神様の恵があったのではないでしょうか。
 
 人生がばら色のとき、主の恵をそれほど深く知る事はできません。しかし、苦難の中に置かれたとき、普段、知る事の出来ない恵を知る事ができるのです。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたはこれを忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます」(ヘブライ12:5−7)。今、苦難の中にある方、主があなたを試されています。これは愛ゆえの訓練です。主を信頼して、感謝してお受けいたしましょう。


 
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