【主日礼拝 】                                  2012年5月20日 

 『喜びの交わり』

フィレモンへの手紙1章4-7節

山岸 明牧師

 教会の中で使われる言葉の中で兄弟姉妹と言うのがありますが、これは「信仰による家族」を表す言葉として用います。信仰による家族は神を親とし、信じる全ての者は神の子どもとなる。兄弟姉妹は教会での絆を深め、神の御心を大切にし、互いが愛し合い、助け合っていきます。これは世に対する大きな証しとなります。赤の他人が損得を抜きにして、それぞれの違いを認め兄弟姉妹として交わっていく、ここに信仰の健全な姿があります。
 
 今の時代は家族としての絆を築く事が難しい時代でもあります。家族は壊れ、絆は薄くなって、苦楽を共に出来ないほどに病んでいる。教会でも互いがどのように関係を築いていけばよいのか分からず、交わりを避ける人がいます。しかし、いつも避けてばかりいると、私たちの信仰がどんどん歪んでいきます。互いに愛する事は、私たちにとっても大きな課題であり負うべき十字架なのです。
 
 私たちは愛を求めます。『愛をください』『もっとください』なぜ“ください”が終わらないのでしょうか?なぜ、満たされたところで終わらないのでしょうか?愛がほしい、愛を受け取った。それだけでは未完成なのです。愛する事をした時に、愛は満たされていくのです。互いに愛し合う時に愛は完成に近づいていきます。私達が『愛してください』から『愛する』時に、初めてキリストの愛を体験することができます。愛される事と、愛する事、この二つが一つとなって始めて愛は完成されるのです。

 信仰交わりが『互いに愛し合う』という十字架の土台の上に立つならば、そこに交わるすべての人が神の愛を見て体験することができます。聖書を読んで、神は愛であると書いてあるが、それがただの文字ではなく、この世に愛は存在するのだと。愛される事は大切ですが、愛する事を忘れないでください。私たちの交わりが、この十字架の土台の上にしっかり立ち、互いに愛し合うならば、真の交わりとなって喜びの交わりと成長していくでしょう。


 
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