【主日礼拝 】                                  2012年6月3日 

 『人類最初のけんか』

創世記3章1-13節

山岸 明牧師

 神はアダムに命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2:17)。アダムは神の命令を守り平安に過ごしていました。「主なる神は言われた。人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(2:18)。こうしてアダムにエバというパートナーが与えられました。「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(2:25)。

 ある時、誘惑するものが来てエバに言った。あの果実を食べても死ぬことはない「それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となる。」(3:5)あなたは、まだ目が開けていない。不完全で、不十分な者だ。あの果実を食べれば神のようになれるとそそのかしたのです。アダムとエバは神に背き、果実を取って食べてしまいました。この時から、人は神に背を向けて生きる者になった。これが「罪」なのです。

 神は「取って食べるなと命じたから食べたのか」(11)と言うと、アダムは「あなたが共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので食べました」(12)と言った。「何ということをしたのか。女は答えた蛇がだましたので、食べてしまいました」(13)お互いに責任転換を始めたのです。人の悩みの9割が人間関係だと言われています。私たちを悩ましている人間関係の最初のトラブルはこのアダムとエバという1組の夫婦から始まっています。「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです」(ローマ5:12)

 こうして神に背いてしまった人間は、自己中心に生きる者となり、その「罪」ゆえに罰せられる者となってしまった。だが、神はこんな状態の中にある私たちを救うために、改めて命に至る道を備えてくださいました。それが十字架です。神は御子イエス・キリストを十字架につけて、私たちの身代わりとして裁かれました。裁きはイエス・キリストの十字架によって終わったのです。そして今も「どこにいるのか」と罪人である私たちを探しておられるのです。この神に立ち返る時、罪に陥る前の神が創造された人間の姿に回復していけるのです。


 
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