【主日礼拝 】                                  2012年9月2日 

『悲しいときは泣きなさい』 

ヤコブの手紙4章1−10節

山岸 明牧師

 心理カウンセラーの袰岩奈々さんは、『感じない子ども 心を扱えない大人』という著書の中で、現代社会において、怒り、落ち込み、不安といったネガティブな気持ちに対応できない人が増えていることをとらえ、その一因として、子ども時代に不快感を感じる機会が減っている事を挙げています。自分の中に、悲しみや、悔しさや、寂しさが育つ機会が失われていくとき、そこには、他者の痛みや悲しさや、悔しさ寂しさに対する感性が育つ事がなくなってきて、生命としての喜びがますます希薄になっていく、自分の苦しみや弱さを排除し、目をそむけていくところに、他者の痛みや悲しみには鈍感になっていくと言っています。

 ヤコブは「悲しみ、嘆き、泣きなさい」(9)と言いましたが、いつの時代も弱さは必要とされません。故に、弱さは捨て去りたいものであり、弱さがあっても、それを見せずに我慢してこなければなりませんでした。しかし、聖書は『弱さ』は非常に重要であると言っています。自分の弱さを徹底的に知ること、自分がいかに弱い者であるかという事が分かったときに人は強くなっていくのです。「わたしは弱いときこそ強いからです」(第二コリント12:10)。

 「悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい」(10)。私たちの常識とは正反対ですが、悲しみ、嘆き、涙するところ、私たちが取り除きたい部分、そこにこそイエス様が働いてくださるところであり、そこに恵があるのです。だから、悲しんでも良いのです。嘆いても良いのです。泣いても良いのです。「今、泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:21)と仰せられるように、私たちが十字架を見上げる時、泣きっぱなしでは終わることはありません。イエス・キリストの十字架と復活によって笑うようになるのです。


 
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