【主日礼拝 】                                  2012年9月30日 

『 与えられているものを用いる』 

テモテへの手紙二1章3-11節

山岸 明牧師


 神様は私たちを造られたときに、全ての人に賜物をお与えになりました。ある人には運動能力、ある人には芸術に優れた能力、ある人には物造りの能力、ある人には人の話を聞く能力。それぞれに得意な事が必ず与えられています・。自分の賜物が分らない人は、何をしているときが楽しいか、自分が生き生きしているかを考えてください。

しかし、どんなに優れた能力が与えられていようと、それが神様から与えられた賜物である事を知らなければ、自分の欲望のみに使用したり、悪い事に使用する事もるのです。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(ペトロ(一)4;10)とあるように、賜物は神と人に用いるために与えられているのです。

しかし、悪魔は私たちから奉仕の喜びを奪おうとします。例えば、人と比較させようとする誘惑、また、人の期待に応えさせようとする誘惑です。どちらも私たちが神に仕える働きを邪魔します。私たちがその働きに喜びを失ってしまったら、いずれかの原因になっていないでしょうか。なぜ、その働きを人と比較してはいけないのでしょうか。それは、自分より優れている人を見るたびに落ち込むからです。また、自分より劣っている人を見つけると高慢になってしまうからです。どちらの態度も、神と人、また教会に仕えるという奉仕から喜びを奪い去ってしまうのです

私たちは、与えられた賜物に磨きをかけ、情熱を絶やす事なく、経験を積んでいくべきです。そうすれば自分の働きをさらに効果的なものとする事ができます。パウロはテモテを次のように励ましています。「そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように薦めます」(第二テモテ1:6)。パウロはテモテに神様から与えられた賜物を用いるように祈って燃え立たせました。からだの筋肉も使わないでいると、やがて弱り、萎縮していきます。同じように、神が与えてくださった能力も、使わないといつか失ってしまうのです。


 
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