【主日礼拝 】                                  2012年10月28日 

 『「・・しかない」から「・・だけある」』 

マタイによる福音書14章13-21節

山岸 明牧師


 教会に来て神様の行われた奇跡を聞いたり、聖書の奇跡を読むとき、そんな事が本様に出来たのかと疑います。私も疑いました。最初は信じられなくて周りのクリスチャンに聞きました。ある人は自分も見た事がないから分らない。それが一番安心する答えでした。ある人は聖書に書いてあるから間違いない。あなたは信じているのですかと聞きたかった。そんな中で私の心に突き刺さり、今でも忘れない答えがありました「神様なら何でも出来るよ」。確かにそうだ、私たちは人には出来ない事を神様にお願いしておいて、そんな事が出来るはずがないというのは本当におかしな話です。
 イエス様のもとに多くの人々が集まってきました。弟子たちは夕暮れになったので群衆を解散させ、自分で食べ物を買いに行かせようとしました。するとイエス様は「行かせることはない、あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(16)と仰せられた。弟子たちは「ここにはパン5つと魚二匹しかありません」(17)。ヨハネ福音書には、これだけでは「何の役にもたちません」(ヨハネ6:9)とあります。私たちは人を見て、うらやましく思ったり、妬ましく思ったりする事がありますが、そんなとき自分を見ると“ない”ものばかりが目についてきます。自分には才能がない、能力がない、将来性がない、素質がない、お金がない、時間がない、あれもないと続いていきます。
 「これしかありません」と言った弟子たちにイエス様は「それをここに持って来なさい」(18)と仰せられ、そのわずかなものを受け取り祈られた。すると、すべての人のお腹を満たしとあります。人の目に、これが一体何になろうかと思う小さなつまらないものでも、イエス様の前にささげていくなら、イエス様はそれを祝福し生かして用いくださるのです。何もない自分、何も出来ない自分、弱い自分、愚かな自分、イエス様の前にそのままの自分を差し出すなら、イエス様があなたを用いてくださいます。そして、あなたを通して神の祝福が家族に、友人に広がっていきます。今からの人生、イエス様を信頼して「・・しかない」から「・・だけある」の信仰を持って歩みましょう。


 
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