【主日礼拝 】                            2013年1月27日 

 『すべては神の恵み』 

コリントの信徒への手紙(一)15章1−11節

山岸 明牧師

 パウロがコリントの教会に充てた手紙の中でこのように言っています。「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」(コリント一15:1−2)。

 コリント教会の人たちは福音を喜びと感激をもって受け入れました。彼らの生き方は変り、互いに愛し合いながら周りの人たちに信仰の影響力を及ぼしました。ところが年月が流れて行くと教会に集まっていた人たちから、初めのころの喜びと力と感激は徐々に消え去っていきました。皆さんはどうでしょうか。パウロが「あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音」と言っていますが、私にとって福音(良き知らせ)が「生活のよりどころ」になっているでしょうか。イエス・キリストが私の人生の頼みとなり、支えとなり、希望となっているでしょうか。それとも、福音はまったく関係のないものになってしまっているでしょうか。もしそうならば、福音を信じたことが無駄になり、役にたたないものになっていると言います。

 パウロは最も深刻な問題は復活の信仰が弱くなったために、信仰がマンネリ化し、私たちの日々の生活の中で十字架と復活が恵みとなっていない。そこで、パウロはもう一度、福音の恵みを思い出してほしい。「十字架の言葉は滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(コリント一1:18)とあるように、私たちも、パウロと同じようにこの世にあって、同じ信仰の喜びに満たされたいと思います。この世の何をもっても替えることができない、そういう喜びを信仰の中に見出して、神の恵みによって何ものをも恐れない、そういう信仰に生かされたい者です。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(コリント二6:1−2)。すべては神の恵みです。


 
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