【イースター主日礼拝 】                            2013年3月31日 

 『夜明けが来た』 

ヨハネによる福音書20章24-29節

山岸 明牧師


 弟子たちは主イエスが十字架で処刑されたことを知ると、弟子である自分たちにも迫害が及ぶことを心配して戸に鍵をかけ、家の中で隠れるようにじっと身を潜めていました。弟子たちは恐怖心と絶望感に支配されていたでしょう。そこへ、復活された主イエスが現れ「あなたがたに平安があるように」(19)と言葉をかけられた。弟子たちは恐れよりも復活の主を見て喜びました。しかし、トマスは復活の主イエスが来られたとき、彼らと一緒にいませんでした。

 弟子たちは戻ってきたトマスに「わたしたちは主を見た」と言うと、仲間の言葉を信じられなかったトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければわたしは決して信じない」(25)と言った。見るだけではなく、触れて見なければ信じない、この告白によって彼は不信仰のトマスと言われるようになったのです。

 さて八日の後、主イエスは弟子たちのところに現れました。そのときにはトマスも一緒にました。主イエスはトマスに言われた「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27)。それを聞いたトマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」(28)と告白した。

 主イエスは「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いだ」(29)と仰せられました。見ないで信じるとはどういう事でしょうか。それは『聞いて信じる』という事です。「実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。主イエスが弟子やトマスの前に現れたのは「週の初めの日」つまり日曜日でした。主の御言葉を聞くには日曜日の礼拝が最も良いということです。トマスのように疑い深い人にも主イエスが御自身を現してくださり、そして「私の主、私の神」という告白へと導いてくださる、私たちは、毎週の礼拝において、御言葉を通して復活のイエス様にお会いすることができるのです。そして礼拝において、主イエスは私たちに「見ないで信じる人は幸いです」(29)と語りかけておられるのです。主イエスの復活、私たちに夜明けが来たのです。信じない者ではなく、信じる者になりましょう。


 
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