【主日礼拝 】                                 2013年4月7日 

 『使命に生きる』 

エフェソの信徒への手紙1章1-14節

山岸 明牧師


 私たちがこの世に生かされているのは目的があるからです。そして、私たちにひとりひとりに使命が与えられています。皆さんは自分の使命を発見していますか?ある人が『多くの悩みや苦しみは、生きる使命を見失っているところから生まれる』と言いました。生きる使命を見つけ、その使命に沿って生きる時こそ、喜びがあると言うのです。

 自分の使命をどのように発見したら良いのか聖書から見て行きましょう。
初めに、神は何故、私を造られたのでしょうか?神は目的もなく何かをなさるお方ではありません。神が何かをなさる時は必ずその背後には意味と目的が隠されています。神が人を造られたときにこのように仰せられました。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(創世記1:26)。神様が人間のかたちをしているのではありません。私たちの内に霊を宿しているという事です。私たちは神との関係を持つために造られたのです。ですから、神との関係を築くことが出来なければ、人間は自分の存在意義を失ってしまうのです。

 次にイエス・キリストを通して使命を発見します。イエス様は何をするためにこの世に来られたのでしょう。「人の子は、失われたものを捜して救うためにきたのである」(ルカ19:10)。「わたしは真理について証をするために生まれ、この世に来た」(ヨハネ18:37)。「わたしは光としてこの世に来た」(ヨハネ12:46)。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」(ルカ4:43)。イエス様がこの世に来られた目的です。

 「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」(ローマ8:29)。「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました」(ヨハネ17:18)。とあるように、私たちはイエス様の使命を受け継ぐ者なのです。私たちの使命はイエス様と同じように神様の働きのために互いに仕え、福音を伝え、賜物を生かして教会に仕えることなのです。それがクリスチャンに与えられた命の使い方なのです。


 
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