【主日礼拝 】                                 2013年4月21日 

 『謙虚な人になる』 

ルカによる福音書18章9−14節

山岸 明牧師

 主イエスは自分を正しい人間だとうぬぼれている人々に対して忠告をしました。高慢にならずいつも謙虚な人になるためにどうしたら良いのでしょうか。

1. 自分の中に正しい基準をもつ:「二人の人が祈るために神殿に上った。一
人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった」(18:10)。ファリサイ人の祈り「神様」で始まります。しかし、その後は、わたしは、他の人たちのように不正な者でないことへの感謝。他の人たちより幸いなことへの感謝で終わります。彼は他人と比較をし、自分は正しい者である事に感謝をしている。これは自分の中に絶対的な基準がないので、自分を見定める基準を他人にするしかないのです。一方の「徴税人は遠くに立って目を天にあげようともせず、胸を打ちながら言った。神様、罪人の私を憐れんでください」(13)。神様に喜ばれたのは徴税人でした。ファリサイ派の人の基準は人、徴税人の基準は神様。あなたの中の基準は?

2.へりくだる心をもつ:主イエスは「わたしは柔和で謙遜な者だから、わ
たしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:29)。謙遜とは弱くなる事ではなく、やすらぎを得る事によって、逆に強くなり、人を引き付ける力になるのです。「破滅に先立つのは心のおごり、名誉に先立つのは謙遜」(箴言18;12)。と仰せられています。

3.周囲に心をつかう:神の前に謙虚でへりくだる心を持つと同時に隣人に
対しても、同じようにへりくだる事が必要とされています「何事にも利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分の事だけでなく、他人の事にも注意を払いなさい、互いの事を心がけなさい」(フィリピ2:3−4)。自分の事だけを考え、相手に対して見栄をはったり、みせかけの気持ちで隣人に接するのではなく、心からへりくだって「相手を自分より優れた者と考えなさい」と言われている通りに接していかなければなりません。


 
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