【主日礼拝 】                                 2013年5月5日 

 『慰め寄り添う』 

コリントの信徒への手紙二7章5-7節

山岸 明牧師

 この世にあって人々は慰めや励ましを必要としています。しかし、私たちの慰めや励ましは時と共に変わってしまうので、永遠に変わることのない聖書から受けとっていかなければなりません。

「慰めと・励まし」その1、神が一緒にいてくださること:人はどんなに慰められても励まされても軽くする事のできない悲しみや苦しみを持ちます。その人の重荷を背負うとしても限界があります。しかし、その重荷を背負い慰めてくださる方がいる。「わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブライ人13:5)と仰せられる神がいつも一緒にいて下さいます。

 「慰めと・励まし」その2、信仰の家族が与えられている:パウロは「マケドニアに着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。」(二コリント7:5‐6)。苦しみ、戦い、恐れがパウロから安らぎを奪いました。私たちの人生にも苦しみ、戦い、恐れがあります。故にパウロは「互いに励まし合いなさい」と言われ、また、信仰による家族が与えられているのです。

 「慰め・励まし」その3、私たちは認められている:神様は私たちを認めてくださっています。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)失敗ばかりを繰り返す私たちですが、神の目には一人一人が高価で尊い素晴らしい存在なのです。

 「慰め・励まし」その4、私たちは赦されている:神は御子イエスを世に遣わして十字架に付け、救いを完成してくださいました。私たちが自らの罪に気づき、イエス様ごめんなさいと告白するならば、その罪は赦されるのです「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(ヨハネの手紙一1:9)。この約束があるから、私たちは安心でき、この神の愛に慰められ励まされるのです。私たちもこの神の愛で隣人を慰め励ましましょう。


 
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