【主日礼拝 】                                 2013年6月2日 

 『大切なものを得るためには』 

マタイによる福音書10章34-39節

山岸 明牧師

 「日本ではなぜ、福音宣教が実を結ばなかったか」という本の中で、その理由として、@日本の教会がキリストの心を具体化していない教会であったから。A牧師・執事が未熟であったから。Bクリスチャンを含めた日本人が島国的劣等感の束縛から解放されていないから。以上3つのことが書かれていました。それはクリスチャンの信仰が、この世との妥協の信仰であったため、力を発揮できなかった。また日本には神社やお寺の歴史的・制度的の『縛り』が今なお存在して、個よりも和を重んじていたため、真理よりもこの世のことを優先してきた。

 私たちの家庭の平和はキリストの土台の上に建っていますか。それとも信仰の妥協を重ねた上に建っていますか。主イエスは仰された「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たのである。人はその父に、娘は母に、嫁をしゅうとめに。こうして自分の家族の者が敵となる」(34−36)。主イエスは、私たちの平和な家庭に剣を投げ入れた。平和の源であられるイエス様がなぜ平和な家庭に剣を投げ入れたのでしょう。

 それは、お互いの罪に目をつぶってできあがった見せ掛けの平和、妥協に妥協を重ねてつくりあげた平和、更に、私たちが思い描く淡い平和に終止符を打つために剣を投げ入れた。そして、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」(37−38)と仰せられた。今、ここで改めて主イエスに従う信仰の決断が促されています。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:33)。私の中に、そして家庭に本当の平和を願うなら信仰に生きなければなりません。それは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒5:29)。神への愛を最優先する者が、神をも人をも愛する生き方ができるのです。


 
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