【主日礼拝 】                                    2013年6月23日 

 『新たな信仰の意味』 

ヨハネによる福音書3章1-21節

アウンダウンライン執事

 ニコデモはファリサイ派の一人でユダヤ人の指導者でした。ファリサイ派として律法を守り、宗教的誠実な人でした。また神の国の到来を待ち望んでいた人であり、イエス様のなさる御業(しるし)を見て、そこに神の国が開始されていることを、一応は認めていました。ある夜、彼は自分の地位や身分をはばかって人の目を避けてイエス様のもとに来られました。どうしてでしょうか?ニコデモはイエス様に期待と希望を寄せて来たのです。その彼にイエス様は「新たに生まれる」(3)という言葉で問い掛けました。新しく生まれ変わっていないニコデモは、民族主義的特権やファリサイ派的敬虔がどうであれ、真の意味を理解することができませんでした。ニコデモは、神様に関して限られた知識で満足し、神様の力について十分に理解していなかったからです。

 イエス様が仰せられた「新しく生まれる」とは肉によって生まれるのではなく、霊的に生まれることを意味します。ここでニコデモと自分を入れ替えてみてください。私たちもニコデモと同じように、ただ聖書を読み、毎週教会に行くだけで自分はもう立派なキリスト者と思っていませんか。新たに生まれ変わることは私たちの成長の証しでもあります。自己を捨て、自らの十字架を負ってイエス様に従いながら神への絶対的信頼を説く人々になりましょう。神様に委ねて歩む人生の恵みは「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)。これは私たちが努力して得られるものではありません。神様の愛による憐れみなのです。

 人間は弱い者です。サタンは私たちの弱みをよく知り、その弱みを利用し、自分の支配下に置きたいといつも狙っています。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。」(19)。気を付けたいのは、ニコデモが自分の地位や周りを気にしすぎて、神様に心が向いていないこと。サタンが私たちの大切なものをいつも狙っていることを神様はご存知です。ですから、私たちの大切なものを守ると神様は呼びかけています。神様と共に生きる。これが「新たな信仰の意味」であります。神様を信じ、自分のすべてを委ね、新たな命を頂きましょう。          


 
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