【主日礼拝 】                                    2013年9月1日 

 『主の祈りの意味』 

ルカによる福音書11章1-13節

山岸 明牧師

 
 祈り心はだれでも生まれながらに持っています。しかし、ほとんどが困ったときの神頼みであり、誰に向かって祈っているのかも分らず、ただ自分の欲求が満たされることだけを祈るのです。祈りは神様と私たちの絆を深め、信仰を健全なものへと導いてくださる大切な営みです。

 このように祈りを知らない私たちに主イエスが教えて下さったのが『主の祈り』です。「天にまします我らの父よ、ねがわくは御名(みな)をあがめさせ給(たま)え、御国(みくに)を来らせ給え、御心(みこころ)の天になるごとく地にもなさせ給え、我らの日用の糧(かて)を今日も与え給え、我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるし給え、我らを試みにあわせず悪より救い出し給え、国と力と栄えとは限りなく汝(なんじ)のものなればなり、アーメン」。

 前半の「天にまします我らの父よ」から「天になるごとく地にもなさせ給え」までが一つの区切りで、まず神様に心を向けることから始めます。そして、神様の恵みに感謝し、その愛の御業が家族、友人、日本、世界に至るまで、神様の御心が行われことを願います。

 後半の「我らの日用の糧(かて)を今日も与え給え」から「悪より救い出し給え」までが、私たちの必要の満たしと守りを求める祈りになります。私たちには毎日の霊・肉の糧が必要なように、毎日の『赦し』も必要であります。また世の誘惑などから守られるように祈って1日を始めるのです。聖書に「神の国と神の義と求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:33)とありように、神様を第一とするなら、私たちの必要は全て備えられることを神様は約束してくださっています。主の祈りも何を第一に祈るのか、そのことを教えるのです。