【主日礼拝 】                               2013年9月22日 

 『後の者が先になる』 

ルカによる福音書13章22-30節

山岸 明牧師

 
 ある人が主イエスに言った。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」(23)。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」(23−24)。私たちが求める幸せへの道はこの世にたくさんあります。しかし、実際に掴んでみると、一時は満足するが永続しないものばかりです。故に人は、次なる幸せを求めて別の道を探して進むのです。人生はその繰り返しではないでしょうか。

 神様はそんな私たちに本当の幸せの道を与えてくれました。その道はすべての人に開かれていますが、その道に入る戸口は狭く、入ろうとしても入れない人が多くいるのです。つまり、その道は人間的な見方や考えで入れる道ではないのです。では、その狭い戸口とは何でしょう。主イエスは仰された。「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」(ヨハネ10:9)

 罪の救い、思い悩みからの解放、本当の自由、真理への道は、自力で獲得できるものではなく、イエス・キリストの門を通らなければ入れないのです。「ほかの誰によっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)

 私たちの人生は、どれだけのことを行い、結果を出したかで人の価値が決まります。その価値で自分が肯定されたり、また否定されたりすることもあります。しかし。天国(神様の支配)では、この世の基準で決まるものではありません。天国では「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者がある」(30)のです。つまり、働きに左右されるところではなく、等しく神の恵みが注がれるのです。この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべての者を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(一テモテ6:17)。