【主日礼拝 】                               2013年11月3日 

 『小さなことに忠実であれ』 

ルカによる福音書19章11-27節

山岸 明牧師

 
 「わたしたちは、与えられた恵みによってそれぞれ異なった賜物を持っています」(ローマ12:6)とあるように、神様は私たち一人一人に賜物をお与えになりました。教えることが得意な人、励ますのが得意な人、もてなしが得意な人、音楽が得意な人、美術が得意な人、子どもと関わるのが得意な人、お話しが得意な人、慰めるのが得意な人。それぞれに相応しい賜物が与えられているのです。
  
 神様が私たちに賜物をお与えになった理由は「あなたがたは、それぞれ神の賜物を授かっているのですから、神のさまざまな良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(ペトロ4:10)とあるように、それぞれが自分の賜物を発見し、それに磨きをかけ、そして、互いに仕え合うことです。パウロはそれぞれの賜物を用いて仕え合うことによって「キリストの体を建てあげる」(エペソ4:12)と言っています。すると教会は整えられ、活力に満ち、健全さを取り戻すことになるのです。

 私たちが賜物を用いない一つの理由に、うまくいかなかったらどうしよう。失敗したらどうしようと考えます。そして、ほら見て見ろ、だから言ったでしょう、と言って罰せられる怖さ。もう一つは、私の賜物など用いても意味がない。何の役にもたたないという考えです。何かをしようとするときに失敗することもあり、上手に行かないこともあります。神が与えるものに無意味なものは何一つないのです。

 主イエスは賜物を用いる時に何を評価されたでしょうか。「ある人が私は1から10に増やしました」と言ったときに「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さなことに忠実だった」(17)と仰された。主イエスが求めておられるのは、どれくらいの成果を得たかではなく、どれだけ忠実に与えられた賜物を用いて仕えたかです。何もしなければ何も起こりません。ならば、神様がせっかく預けてくださった賜物を有効に使ってみましょう。そのときに主は「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さなことに忠実だった。」と仰せられるのです。