【主日礼拝 】                             2013年11月24日 

 『主イエスから離れたとき』 

ルカによる福音書22章54-62節

山岸 明牧師

 
 主イエスと自分の距離はどのくらいですか?近いですか。それとも遠いですか。もし、主イエスから遠く離れたところに自分が立っていたら、自分の意志で主イエスに近づいてください。それも熱い心で主イエスに近づくのです。何故ならば、敵が私たちを狙っているからです。ペトロは言いました。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」(ペトロの手紙5:8−9)と言われます。

 聖書には羊飼いと羊の話が出てきます。敵に攻撃されるのはどんな羊でしょうか。羊飼いの近くにいる羊ではなく、羊飼いから遠く離れたところにいる羊です。同じことがペトロの上に起こりました。彼の上に起こったことは、私たちの上にも起こる可能性があります。「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。」(54)イエス様から遠く離れてついていくところから敵に捕まるです。イエス様に遠く離れて付いて行くのか、熱い思いで近づいてついて行くのか、私たち一人一人が選択し決断するのです。

 主イエスから遠く離れてついていったペトロは、「人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」(55)ペトロは主イエスから遠く離れたばかりではなく、中に混じって腰を下した。主イエスを非難している人たち、イエスの死刑を待ち望んでいる人たち、その目撃者となる人たちです。ペトロは彼らと共に座り、交わり、彼らにとけ込んでいきました。だれが見ても彼らと同じように、違いが分からないように、自ら彼らと同じ者になっていきました。

 私たちも、このペトロと同じようにする事がないでしょうか「あなたがたは地の塩、世の光である。」「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタイ5:13−16)と仰せられているのに、自らその光を消し去り、ペトロのように敵側に流され、気づいたら、彼らと共に座り、主イエスから遠く離れたところで生きている。「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」(詩編34:9)。ここに主の恵みがあるのです。