【アドベント第3週礼拝 】                             2013年12月15日 

 『信じる者に』 

ヨハネによる福音書20章19-29節

山岸 明牧師

 主イエスが十字架に付けられ殺されたあと、弟子たちは自分の身に危険が迫ることを恐れて、家の戸に鍵をかけ身をひそめていました。そこに主イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言って「手とわき腹をお見せになった」(20)。これは、霊的に弟子たちの心の中に現れたとか、幻のように現れたのではなく、肉体を持って復活されたのです。

 弟子たちは主を見て喜んだ。しかし、このとき、弟子のトマスはその場にいませんでした。トマスは復活された主イエスを見る事ができませんでした。他の弟子たちはトマスが戻ると何度も「私たちは主を見た」と言い続けました。しかし、トマスは復活の主イエスを見た弟子たちの言葉を信じる事ができず、「あの方の手に釘跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、わたしは決して信じない」(25)と言った。

 それから8日の後、つまり一週間後の日曜日、主イエスは再び弟子たちの前に姿を現されました。今度はトマスもいる時です。主イエスはトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹にいれなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27)。トマスは答えて「わたしの主,わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(28−29)。見ないで信じるとはどういう事か。それは「聞いて信じる」という事です。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。

 主イエスが復活されたのは日曜日でした。そして次にトマスに御自身を現されたのも日曜日でした。私たちは日曜日の礼拝を通して、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」という告白へと導かれたように、私たちも礼拝を通してその恵みに与るのです。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(ペトロの手紙一1:8)。