【主日礼拝 】                                 2014年1月19日 

 『ささげる礼拝−2』      

ローマ12章1節

山岸 明牧師


 「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12:1)とあります。他の訳では「これこそ、あなたがたのなすべき霊的な礼拝です」となっています。

 霊的な礼拝を献げなさい。霊的の反対は肉的です。肉的とは自分の欲望を満たすことです。霊的な礼拝とは献げることが中心で、肉的な礼拝とは受けることが中心の礼拝です。献げる事と受ける事は正反対のものです。皆さんは今日、この礼拝に来られるとき、献げるという思いと、受けるという思いのどちらの思いを持って来られたでしょうか。私たちのなすべき礼拝は霊的な礼拝、すなわち献げる礼拝でなければなりません。

 賛美も献げものです。私たちは一体、だれに向かって賛美をしているのでしょうか。自分自身ですか?それとも神様ですか?私たちは今日も賛美を献げましたが、自分の賛美を振り返って頂いて神様に献げる賛美だったでしょうか。私たちが心から献げる賛美ができたら、そこには必ず神の御臨在が現れ、感動が込み上げてきます。

 祈りも献げものです。司会者が祈りを献げた時に、私たちも一緒に祈りを献げましたが、その祈りは心からの献げものになっていたでしょうか。

 献金も献げものです。毎週献げている献金はどうでしょうか。よく、僅かな物ですがお献げしますと祈ります。日本人的に謙虚に言っているのでしょうが、もし、充分献げていると思いながら、僅かというのも変です。精一杯の献げものならそう言えば良いのです。

 礼拝は献げものです。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12:1)。私たちは365日、24時間クリスチャンです。それは、私たちの体も生活もすべてを献げるという事です。そして、神は今も「霊と真をもって礼拝する者を求めておられる」のです


 
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