【主日礼拝 】                                 2014年1月26日 

 『賛美の衣をまといて』      

イザヤ 書 61章1-3節

紫園香音楽伝道師

 賛美にとって一番大切なもの、それは「イエスを主とすること」です。
 良い声の人が御心にかなった賛美のできる人ではありません。その人の生活を通して心から「イエスを主とする」人が、賛美の人です。その賛美にこそ主は喜んで住まわれると思います。(参考:詩篇22:4イスラエルの賛美に住まわれる主)。賛美とは讃美歌やゴスペルを歌ったり楽器を奏でたりする以上の事です。祈る時間もないほど働き、朝早くお弁当を作り、夜遅くまで勉強する・・その忙しい日常生活の全てにおいて「イエスを主」とし生きることこそが賛美です。どんな時も「イエスを主として」生きる者の賛美を、神さまは喜ばれます。
 では「イエスを主」として行く為には何が必要なのでしょうか。それはイエス・キリストの十字架で購われた罪が、本当に自分の罪であったと日々思い知ることだと思います。「賛美の衣をまとわせる」とあるように、自分の罪と対峙し悔い改めた魂に、主が賛美の衣を着せて下さいます。

賛美するうちに私たちは悲しみも苦しみも喜びも悩みも、すべて主から戴いたものであることに気づかされます。状況がたとえ最悪でも、それを神のご計画の一部として受け入れ感謝したとき、神は初めて働くことがおできになる、ということにも目が開かれます。私たちにとって思わしくない状況であっても、ありのままの現実を感謝し賛美して神の光に差し出すと、その問題はそのまま神の手に渡されるからです。
 しかしこれはそんなに簡単なことではありません。神への深い信頼がなければ出来ない事です。(参考:U歴代誌20:1〜30賛美隊を先頭に戦い勝利したヨシャファト王)。私たちは今自分が陥っている、自分にとって悪い状況を敢えて感謝する事など、なかなか出来ませんし、何とか自分の力で解決しようと考え行動してしまいます。賛美は、そんな古い自分に捉われている状況から、新しい霊の命へと私たちを造りかえてくれます。
 主に賛美の衣を着せて戴きましょう。私たちは賛美することによって目を主から離さないでいましょう。私たちが主を賛美しつつ歩く道は、先にイエス様が歩いて下さる真実の「いのちの道」です。


 
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