【主日礼拝 】                                 2014年2月16日 

  『可能性を喜ぶ』      

ヨハネによる福音書1章35-42節

山岸 明牧師

 主イエスの弟子にペトロという人がいます。弟子の中で一番有名な人かも知れません。このペトロにはアンデレという兄弟がいて、アンデレがペトロを主イエスのもとに連れて来たのです。「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、わたしはメシア(救い主)に出会ったと言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。するとイエスは彼を見つめて「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする」(1:42)。ケファとは『岩』と言う意味で、ギリシャ語ではペトロと言います。

 主イエスは何のとりえもない、ごく普通の漁師をしていたシモンをご覧になって、彼の中に将来『岩』になる可能性を見たのです。そして、このようにも仰せられました「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16:18−19)。ペトロは衝動的で短気、自信過剰、考えるより先に口を開いてしまう性格。そんな人が岩のように固く立つ人物になるとはだれも思いません。しかし、主イエスはその弱いペトロの器の中に、初代教会のリーダーになる可能性を見ていたのです。

 私たちは日々の生活の中で人の問題や欠点ばかりが気になり、神様が私たちに与えておられる可能性を見失っていないでしょうか。否定的な言葉や態度が私たちの自信を失わせ、可能性を委縮させてしまうことが多いのです。私たちの中には、まだまだ解放されていない力、埋もれたままなっている賜物、発揮されていない能力、使われていないエネルギーがあります。私たちの中にどんな可能性が隠されているでしょうか。ペトロは主イエスに従う中で愛され、赦され、育てられ、叱られ、持っていた可能性を開花していきました。同じように主イエスは、私たちの持っている可能性を引出し、開花させてくださることを信じて従っていましょう。


 
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