【主日礼拝 】                                 2014年3月2日 

  『聖霊と知恵に満たされた人』      

使徒言行録6章1-7節

山岸 明牧師

 「それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」(6:3)。この箇所は教会の執事が選ばれるにあたって語られた御言葉です。しかし、今や執事だけではなく、主に従う私たち自身がしっかりと受け取らなければならない御言葉です。では具体的にどのように霊と知恵の満たしを求めたら良いのでしょうか。

 初めに祈りです。クリスチャンはキリストを信じた時にすでに聖霊が宿ってくださっています。しかし、聖霊が宿られることと、聖霊に満たされることは別です。私たちは聖霊に満たされ、支配されることが必要です。では、どうしたら聖霊に満たされ続けるのでしょうか。それは絶えず祈ることです。祈っていない人は、自分の力や能力に知らず知らずのうちに頼ろうとします。しかし、祈っている人は聖霊に押し出されて行います。まずは、主の約束を信じて祈り求めましょう。「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ9:11)。

 次に、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい、これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。霊の火を消してはいけません」(テサロニケ5:16−19)。理屈ぬきで、クリスチャンは喜び、祈り、感謝をするのです。そうすれば聖霊に満たされます。私たちから喜び、祈り、感謝がなくなると、徐々に霊の火が消えてきます。そうするとどうなるでしょうか。聖書を見ると、いつも怒りに満ち、不満や、ねたみ、敵意、争いに支配されています。聖霊に満たされることは、このような誘惑に遭わない防御にもなるのです。

 最後に「あなたがたは神の聖霊を悲しませてはいけません」(エフェソ4:30)。とあります。怒ることがあっても罪を犯してはなりません。悪い言葉を口に出してはいけません。裁き合ってもいけません。牧師が信徒を、信徒が牧師を、信徒が信徒を。こういうことは聖霊を悲しませます。私たちは互いに裁き合わないだけではなく、互いに愛し合っていくのです。


 
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