【イースター主日礼拝 】                                 2014年4月20日 

  『全てを打ち破る復活』      

ヨハネによる福音書11章17-27節

山岸 明牧師

     
 主イエスはラザロが病気で苦しんでいる事を知りながらも、ラザロのもとに行くことが出来ませんでした。そして、主イエスが着いた時には既にラザロは死んでいました。姉妹のマルタが「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟はしななかったでしょう。」(11:21)と言った。主イエスは「あなたの兄弟は復活する。」と言うと、マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております。」(11:24)と言った。兄弟を亡くした悲しみの中で、このように答えることができたマルタの信仰は本当にすごいものです。

 その後、主イエスはラザロの墓に行き、墓をふさいでいる「石を取りのけなさい」と仰せられた。ところが、マルタは「主よ。四日もたっていますから、もうにおいます。」と言った。マルタは兄弟ラザロの墓を前にして、彼女の信仰は立ちゆかなくなってしまいました。何故でしょう、マルタの考える復活は終わりの日の復活であり、主イエスの仰せられた復活は「今、ここで」という、現実の出来事でした。いつ来るのか分らない『世の終わり』のことではなく、今、現実の生活においての死からの復活なのです。これは、マルタだけの問題ではなく、私たちの問題でもあります。

 主イエスは「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれた。するとラザロは墓から出てきた。復活の主イエスは今、私たち一人一人に、墓から出てきなさい。暗闇から、悲しみから、絶望から、罪の捕らわれから出てきなさい、と仰せられるのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(11:26)

 マルタは告白しました。「はい、主よ、あなたがこの世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じています。」(11:27)。復活の出来事は「もしあなたが信じるなら」『今、ここで』の出来事として起るのです。「わたしは復活であり、命である。」すべてを打ち破った復活の恵みを、あなたは信じますか。


 
福音メッセージ一覧
戻る