【主日礼拝 】                                 2014年5月25日 

  『最後の一滴まで』      


テモテへの手紙(二)4章1-8節

山岸 明牧師

 新約聖書27巻のうちの14巻、約半分をパウロが書いたと言われています。パウロの書いた手紙には一つの特徴があり、書き出しの挨拶の中で「神の御心によってキリスト・イエスの使徒となったパウロから」と始まります。つまり、イエス・キリストによって直接選ばれ、御言葉を宣べ伝える働きを委ねられたと言うのです。

 私たちはどうなのでしょうか。同じように「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなた方を選んだ」(ヨハネ15:16)。と仰せられる通りです。なぜ、私なのか?選ばれたからには目的があります。それは神様の働きに加わる事です。その任務は「御言葉を伝える」こと。これは、すべてのクリスチャンに与えられた使命です。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(ヨハネ20:21)。

 パウロはこの最後のテモテへの手紙(二)で「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。」(6)と語り、この手紙を書いた数ヶ月後に殉教したと言われています。しかし、パウロは自分の来るべき死について、自分の命が奪われるとは思っていませんでした。逆に、自分の命を神様に献げたというのです。それは「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(ローマ14:8)パウロの信仰生活は礼拝そのものでありすべて献げられているのです。

 パウロは最後の手紙で私たちに3つのことを教えています。初めに「信仰を守り抜くこと」次に「御言葉を宣べ伝えること」最後に「神の前に立たされること」。パウロは目の前のことだけを考えて、語っているのではないのです。最終的に人は神様の前に立たなければならない。そのときに問われることは何をしたかではなく、クリスチャンとしてどれだけ忠実であったかです。パウロの人生は最後の一滴まで従順でした。


 
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