【主日礼拝 】                                 2014年6月1日 

  『生かされて』      


ローマの信徒への手紙6章11−14節

山岸 明牧師

 
 私たちは神様と出会って、大切なことを教えて頂きました。それは「生かされている」と言う事です。では、生かされている者の生き方とはどういう生き方でしょうか。

 それは、主イエスの愛の中に留まることです。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに神の愛がわたしたちの内に示されました」(ヨハネ手紙一4:9)。とあるように、主イエスによって生きるようになるためです。そして、私たちは「生かされている」というところから人生を新しく始めるのです。生きることから出発すると不平や不満がおこります。しかし生かされているところから出発すると、喜びと感謝になります。
 
 次に、主イエスに倣う者となる。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」(エフェソ5:1)。私たちは主イエスの影響を受けなければなりません。クリスチャンが礼拝、祈祷会、毎日の祈り、聖書を読むのは、すべて主イエスに触れるためです。常に主が共にあることを確信し、御言葉を信じる。それによってキリストに似た者に変えられていくのです。

 最後に、神のものとして生きること。主イエスは「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と仰せられました。私が世の光?おおげさすぎると思われるでしょう。しかし、その小さな光が暗闇を照らすのです。光は自分のために光るのではなく、他者の為に光るのです。それは隣人を愛すること。「また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい」(6:13)人が生きている事は、決して当たり前ではありません。人は生きているのではなく、生かされている。そう信じるとき、残る生涯、誰かのためにお役に立てる生き方をしたい、そういう心が不思議に湧いてきます。


 
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