【主日(ペンテコステ)礼拝 】                                 2014年6月8日 

  『感謝していますか?』      


コロサイの信徒への手紙3章12-17節

山岸 明牧師

 聖書は私たちに「不平・不満」の人生から「感謝・喜び」の人生を歩む事を勧めます。人生には苦難は付きものですが、結果に振り回されず、神様が与えてくださった人生、どんな時でも感謝できるように心を育てていかなければなりません。「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Tテサロニケ5:18)。

 私たちは、外の世界を見て、恐れ、悩み、不安、心配などに支配され、心を痛めます。それは、私たちの内にキリストの言葉が宿っていないからです。ですから「キリストの平安があなたがたの心を支配するようにしなさい」(15)。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」(16)。と仰されたのです。これは復活して死に勝利された、キリストの圧倒的な力で心を占領しなさい。キリストの言葉で心の隅々まで埋め尽くしなさいという事です。

 主イエスは「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6:63)と仰された。キリストの言葉は霊であり、命なのです。この命の言葉に心が占領されると、内面から命がみなぎり、心が活き活きとして、どんなときでも感謝できる心が養われていくのです。自我に埋め尽くされた心をキリストの命で占領してもらうのです。

 あるシスターの祈りに、天のお父様、どんな不幸を背負っても、吐く息は感謝でありますように。すべての恵みは呼吸ですから。私たちの吸う空気は良い空気ばかりではありません。やさしさや、思いやりや、親切なものばかりではありません。そこには憎しみがあったり、争いがあったり。そんな現実に心を痛めます。しかし、吐く息は全部、感謝でありますように。この祈りを私たちの祈りとしたいものです。私たちの心にキリストが宿り、そして、感謝できる者に変えてくださいますように。家庭に、職場に、それぞれの場所に、感謝と喜びがありますように。まず、私たちがキリストの愛を信じ、その愛で満たされますように。


 
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