【主日礼拝 】                                 2014年6月29日 

  『行いをもって愛そう』      

ヨハネの手紙一4章18-21節

山岸 明牧師

 今の社会を見て、まともな社会だと思っている人は少ないと思います。殺人事件、ドラッグによる犯罪、また、大きな社会問題となっているDV(ドメスティック・バイオレンス)「配偶者や同居している恋人など,日常を共にする相手から受ける暴力行為。肉体的暴力のみならず,言葉の暴力,物の破壊」など、警察への相談件数が3万件を超えています。みんな、愛し合って結婚したのに、どうしてそうなってしまうのか。

 この社会に向かって聖書は『行いをもって、互いに愛する』ことの必要性を叫びますが、この世の無関心にかき消されてしまいそうです。また、この社会で人を愛していくことは簡単なことではありません。では、愛する事をやめて、世の惰性で生きるのか。私たちはいつも、この聖書から問われています。この問いにあなたは、どう応答していきますか。

 ヤコブは「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。」「行いが伴わないなら信仰は死んだものです。」(ヤコブ2:14・16)と言いました。ヤコブがこれほど強く手紙を書いたのは、あまりにも行いの伴わない、口先だけのクリスチャンが多かったのでしょう。信じていればそれだけで良いと言って、行いを否定するような信仰が横行していたのかも知れません。だからこそ、ヤコブは、信仰とは本来、行いを伴うものだと強調したのです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽りの者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。」(ヨハネの手紙一4:20)

 信仰による愛の実践には、私たちが損をしたり、痛んだり、忍耐したり、何かを捨てなければならない場合があります。それは、私たちの負うべき十字架です。それが信仰による愛なのです。それこそが、主イエスが歩まれた、愛による行いの道です。そして、私たちも今、信仰による愛の実践へと招かれているのです。


 
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