【主日礼拝 】                                     2014年8月10日 

  『互いにゆるし合う』      

コリントの信徒への手紙(二)2 章5-11節

山岸 明牧師

 

 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなた方を赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペソ4:32)。「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなた方を赦して下さったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)と仰せられています。この二つの聖句の鍵は、主が私たちを赦してくださったように、あなたも赦しなさい。

 皆さんは「ゆるし」というときに「許し」「赦し」のどちらを使いますか?多くの場合に「許し」を使います。しかし、聖書で使われるのは「赦し」です。私たちが普段使用する「許し」には「許可」をするという意味があります。人間は弱い者だから誰でも罪を犯してしまう。それは仕方がないこと、皆な同じだよ。こうして罪が許可され、安心してしまいますが、罪はそのまま残るのです。だから人生は変わりません。いくらカウンセリングを受けて、皆な同じだから、自分を責めてはいけないと言われて気が楽になっても、人生の根底は何も変わりません。それは罪が許可されて残っているからです。

 神は私たちの罪を許可しているのではありません。聖書の言う「赦し」は、もう裁きが終わったという意味です。罪に対する刑罰が終わったのです。ただ、神の赦しは何もしないで赦されたのでありません。神は怒らなかったのではありません。聖なる神は人間の罪を激しく怒り、その罪を裁きました。どうやって裁いたのか?それは御子イエスの十字架の死によって貫かれたのです。主イエスの十字架の死ですべての人の罪が赦されたのです。もはや罪のための裁きはありません。あるのは、この偉大な神の愛を信じない不信仰の罪だけです。パウロの赦しの根底はここです。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16) 。主が私たちを赦してくださったように、あなたも赦しなさい。

 
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