【主日礼拝 】                                     2014年8月24日 

   『基本に返る』      

ヨハネの手紙第一2章28〜3章1節

山岸 明牧師

 私たちにとって、信仰の基本はなんでしょうか?「聖書」「主イエスの言葉」様々な意見があると思います。聖書には「律法」と呼ばれる、神様が人間に守るように命じた掟があります。これが基本でしょうか。しかし、これは難しすぎます。主イエスの言葉と言っても、簡単なものから難しいものまで様々です。その中で何が「基本」となるのか。主イエスは「最も大切な掟は」と聞かれて「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」そして「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:37)と仰せられた。これが「基本」でしょうか。これも実際には難しいものです。

基本というのは、簡単なこと、誰にでもできること、そして、一番大切な事です。そこで思い出されるのが、主イエスがご自分のところに来る子どもたちに言われたものです。「天の国はこのような者たちのものである」(マタイ19:14)。また同じように「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18:3)。ここに答えがあります。子どもは聖書の細かい知識とか解釈などは知りません。しかし、神様がおられること、そして、その神様が自分を愛してくれている事を本能的に素直に感じ取っています。故に、聖書の事をよく知らなくても、バプテスマを受けたい、神様を信じます、と心から言う事ができます。これが「基本」ではないでしょうか。

私は神様から愛されている。それを知ることが、すべての信仰の基本となるのだと思います。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネ一4:10)。私たちが心や精神を尽くして神様を愛することは確かに大切です。しかし、その前に、まず神様が私たちを愛してくださったという事を知らなければいけないのです。それは誰にでもできる基本中の基本です。この基本に忠実であれば、後のことは自然に備わってくるのです。逆に、この「基本」がなければ、どんなに聖書を読んでいても、知識を持っていても無駄になってしまうのです。

 
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