【主日礼拝 】                                     2014年11月02日 

   心が乱れるとき』      

ルカによる福音書10章38−42節

山岸 明牧師

  主イエスと弟子たちがある村に入ったとき、そこに住むマルタとマリアの姉妹が主イエスを自分の家に喜んで迎い入れました。マルタは、主イエスと弟子たちを “もてなす”ためにはりきって準備を始めました。一方、マリアは、そんなことはお構いなし。主イエスの足許に座りこみ、お話に聞き入っている。マルタは何 も手伝ってくれないマリアの態度に不満を抱きながら、苛立ち、ついに我慢の限界を超えてしまった。

  そこで、主イエスに不満をぶつけました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるよう におっしゃってください」(40節) 。すると、主イエスは何もしないマリアにではなく、忙しく働くマルタに向かって「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しか し、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(42-42節)と仰せられたのです。

  主イエスの御心はいったいどこにあるのでしょうか。主イエスはマルタに「あなたは心を乱している。」と仰せられました。心が乱れるとは、心が分れ、心が離れる言う意味があります。マルタは忙しさの中で、心が主イエスから離れていったのです。

  するとマルタは「わたしだけにもてなしをさせている。」と言った。マルタの目が主イエスではなく妹に向かっていきました。すると自分と妹を比較して、私はしているのに、あなたはしていないと言って不満が出てきました。

  次に「あなたは何とも思いませんか。」主イエスから心が離れていくと、自分を正当化し、あなたの方が悪いといって相手を責め、裁きはじめました。

  最後に「手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主イエスから心が離れると、相手を自分の思い通りにしたくなるのです。
私たちも不満が出たり、誰かを批判し責めたり、相手を自分の思い通りにしたくなるとき、自分をしっかりと見つめ直さなければいけません。私たちの心はどこにあるのか、どこを向いているのか、どこを見つめているのかを。

 
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