【主日礼拝メッセージ 】                                 2015年02月01日 

『不自由さがもたらす幸い」     

マタイによる福音書18章6-9節

山岸 明牧師

 先月14(水)に世界祈祷一致週間で8名の兄姉と共に「汚れなきマリア修道会」を訪れシスターやカトリック教会の方々と共に交わりを持ちました。会が終 わって帰る途中、大坪姉と加茂姉が杖をついて歩いているところに一人のシスターが近づいて来て、どこが痛むのですかと声をかけてきました。シスターは過去 に膝を悪くして杖をつきながら生活していた時があったそうです。また、この「修道会」には高齢のシスターがたくさんいて、皆さん杖をつきながら「足が痛 い、足が痛い」と言って過ごしているそうです。それを見ていて不自由だなと思っていたけど、自分が膝を悪くして杖なしでは歩けなくなったとき、初めて杖を ついて過ごしているシスターたちの気持ちが分ったそうです。それから杖を持って歩いている人を見ると、大丈夫ですか?と声をかけずにはいられないと言って いました。よく、病気をして初めて病人の気持ちが分ったと言いますが、これは不自由さがもたらす幸いではないでしょうか。

  人は何不自由なく過ごす事によって傲慢になってしまう事があるのではないでしょうか。そして、その傲慢さがときに人をつまずかせ、また自分をもつまずかせ てしまう。それによって教会から去り、神をも捨て去る事があるのです。主イエスは「つまずきは避けられない」と仰せになりましたが、私たちがその原因を作 る事は大きな罪となります。特に弱い人をつまずかせないように気を付ける必要があります。

 では“つまずいた”という人はどうなのか。中には自分は被害者であると言って安心している人はいないでしょうか。その心の奥に弱さや、自己中心が渦巻いて いないでしょうか。なぜならば自分の非を認めるよりも、相手のせいにした方が楽であり、安心するからです。私たちは“つまずき”傷ついたときに、めげずに 立ち直る強さを身に付けることです。そうしないと、いつも逃げる事を考えてしまうからです。故に信仰によって強くなっていく事が求められていくのです。

 
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