【イースター礼拝メッセージ 】                                 2015年04月05日 

         『人生に大逆転が起こる     

ヨハネの黙示録1章1-8節

山岸 明牧師

 キリスト教の中心は十字架の死と復活であります。「イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(マタイ16:21)とあります。

 神の子・救い主の証明は十字架の身代わりの死と、希望の復活です。これがなければ救い主の証明にはなりません。どんなにキリストが立派であったとして も、それは偉大な預言者の一人であり、立派な宗教科の一人であります。だが決して神の子・救い主ではないのです。神の子・救い主であるからには、十字架の 身代わりの死を遂げて、三日目に復活しなければならない。この二つが揃わなければ神の子・救い主ではないのです。

 「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。わたしはアルファであり、オメガである」(8)。わたし初めであり、終わりであると。復活の主イエスは生きて働かれ、歴史に介入し、永遠にこの世をご支配されておられるのです。

 歴史の事実として、主イエスを十字架で殺し、その後もキリスト教を迫害し続けたローマ帝国が392年テオドシウス皇帝によってキリスト教をローマ帝国の 国教としたのです。殺したイエスを神の子・救い主として国の宗教としたのです。まさに大逆転が起こったのです。そしてこれこそ黙示録で掲示されていた約束 の成就なのです。

 そして、これが私たちの信じる歴史を支配する聖書の神様です。私たちが主イエスの約束を確信し信頼していくとき、あの歴史の中で起った大逆転が、私の人 生においても必ず起るのです。今、抱えて問題はやがて決着が着く時がきます。それも1日にして、いや一瞬にして、ですから私たちに与えられている信仰の確 信を手放すことなく、十字架で命を捨てても私たちを愛し、約束通り復活をして永遠の命を与えてくださり、今も、これからも憐みを持って共にいてくださる復 活の主に感謝して、熱い心で仕えていきましょう

 
福音メッセージ一覧
戻る