【礼拝メッセージ 】                                       2015年06月14日 

      『命どぅ宝』     

エフェソの信徒への手紙2章16節

川平朝清師

   沖縄のことばでは、命を「ぬち」といいます。神から与えられた命は宝そのもの、お互いに大事にしようというのです。三年前の朝日新聞歌壇賞を受けた短歌は  「六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く」(大阪府岸和田市 西野防人)でした。六月から八月にかけて、私たちは平和についてキリスト者とし て、しっかり学び、これを実現するために何をなすべきかを考えなければなりません。
 日本の中で、沖縄には米軍基地が集中し大きな負担となっています。そして今、政府は普天間基地の危険性を除くという理由で辺野古に、新たな巨大基地の建設を強行しています。県知事選で示された沖縄の民意を無視した行為です。
 これは今から半世紀前に、当時沖縄を占領統治していたアメリカ軍が基地拡張のため土地の強制収用をした行為を思い起こさせるものです。その当時、沖縄の 伊江島で巨大な権力を持ったアメリカ軍に対して、非暴力、無抵抗に徹して立ち向かい、島の基地の大部分の返還を勝ち取った 阿波根昌鴻さんというクリス チャンがいました。
 伊江島は沖縄北部有名な「美ら海水族館」のある本部半島の西9kmの海上にある、東西8.4km南北3kmという小島ですが、1945年アメリカ軍はこの島に上陸すると同時に日本本土爆撃のための基地として島の7割を占拠しまし た。阿波根さんはアメリカ軍と交渉する際の規定を作りました。その中の主な三つは次のようなものでした。1)アメリカ軍に会うときは礼儀正しく挨拶するこ と、2)耳より上に手を上げないこと、3)愛情をもって道理をつくし、幼子を教え導く態度で話し合うこと。さらに阿波根さんはよく聖書を引用しました。 「一匹の迷える子羊を助けるために九十九匹の羊を野において探した」(マタイ18:10〜14)「剣をとる者は皆剣で滅びる」(マタイ26:52)。
 阿波根さんは島に「命どぅ宝の家」を建て、平和的な基地返還運動の経緯を示す展示の品々をそろえ、「私たちはアメリカを救うため愛と忍耐を身につけなけ ればならない」ということばを残して、2002年、101歳で亡くなりました。「実に、キリストは私たちの平和であります。」(エフェソ2:14)阿波根 さんはそのことを信じて行動されたのです。    

 
福音メッセージ一覧
戻る