【礼拝メッセージ 】                                                      2015年08月30日 

 主よ、私は思い煩っています
     

詩編13編2-6節

山岸 明牧師

  「いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのですか。」(13:3)。ダビデはサウル王の嫉妬心から命を狙われ逃亡生活をしていまし た。ダビデは先が見えない不安の中で祈り続けるが、状況はまったく変わりません。何も答えてくださらない神に、ダビデは祈りながらも、神はわたしを忘れて しまったのではないかとさえ思うようになってしまった。

 ある日、ダビデが洞窟の中に身をひそめていたとき、預言者ガトが現れダビデに言った。「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」(サムエル上 22:5)。ユダの地は神がダビデに油注がれた地であった。しかし、そこはサウル王の支配するところでもあった。のこのこ出て行ったら見つかり殺されてし まうかも知れない。ダビデは悩んだが、ユダの地に戻る事を決断した。このとき、ダビデは、これからは自分で逃げ場を探すのではなく、神様を自分の逃げ場と して行く決断でもあったのです。

 私たちも信仰の歩みの中で、不安や悩みで思い煩い、心を痛めることもあります。神に祈っても状況は何も変わらない。だったら信仰など意味がないと考えた り、教会に行っても行かなくても同じだと思って、神様から離れて行ってしまうことがあります。もうすべてから逃げ出したい思いになるときもあります。しか し、神様が預言者を通してダビデにユダに帰れと言われたように、今日、私たちにも信仰の世界に戻れ、そこに神様の約束があるから、信仰の中に踏みとどまり なさい、と仰せられているのです。

 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペトロ5:7)と言われているように「思い煩 い」は主の御手に預けて、私の手の中には置かないこと。委ねる先があると言う事は、これから先、不安があっても力強く生きる事が出来るのです。しかし、委 ねる事ができなければ、これから先も思い煩いが私たちの手元に残るのです。

 ダビデはこのあと「あなたの慈しみに依り頼みます。わたしの心は御救いに喜び踊り、主に向かって歌います。主はわたしに報いてくださった」祈った。

 
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