【礼拝メッセージ 】                                                      2015年09月13日 

 聞く耳を持ちなさい
     

ローマの信徒への手紙10章14−21節

山岸 明牧師

 今は「聞く」ことよりも「話す」ことが主になっている世の中です。しかし聞いてほしいと思っている人がたくさんいるのです。虫の良い話かも知れません が、聞いてほしけど、意見はいらない。聞く事は馬鹿らしいと思うかも知れません。しかし、主イエスは馬鹿らしさを超えて、聞く事の恵みと素晴らしさを、私 たちに教えて下さいました。

 神様が人間をお造りになったとき、耳を二つにし、口を一つにしたのは、話す事より、まず聞く事が必要だからです。「実に、信仰は聞くことにより、しか も、キリストの言葉を聞く事によって始まるのです。」(ローマ10:17)とあり、また別の箇所には「聞く耳のあるものは聞きなさい」(ルカ8:8)とあ ります。

 漢字には「聞く」と「聴く」がありますが、主イエスの仰せられた「聞きなさい」の意味は、ただ「聞く」のではなく、心を傾け受け入れて「聴く」ことなの です。この漢字のごとく「聴く」ことに心が伴うのであれば、時には傷ついたり、痛みを覚えたり、怒りが起きたり、無力さに打ちのめされることもあります。 それは、私たちが考える以上にとても大変な事かも知れません。しかし「信仰は聞くことによって始まる」とあるように、「聞く」ことは、信仰の基本姿勢であ ります。そして、

 御言葉の種は今も蒔かれています。重要なのはどう「聞く」かです。私たちは身を外に置いて、冷ややかに、外から眺めるかのように聞く事もできます。一 方、私に語りかけて下さった御言葉として、その中に身を置いて聞く事もできます。どう「聞く」かです。主イエスは「聞く」ことの恵みに対して「30倍、 60倍、100倍」の実を結ぶと約束してくださっています。私たちが命の御をしっかり受け止めていくならば、主の約束は間違いなく成就され、私をあらゆる ものから救ってくださいます。「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコブ1:21)とある ように。