【礼拝メッセージ 】                                                      2015年10月11日 

 神は私を見捨てない
     

詩編139編7-12節

山岸 明牧師


ダビデは「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし。陰府に横たえようとも、見よ、あなたはそこにいまし。」(詩編139:7−8)と告白した。

私たちの人生の中にも陰府のような暗闇のときがあります。主イエスが十字架の上から「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ 15:34)と叫ばれたように、この地上に置いて社会から見捨てられたような、誰からも必要とされず、価値が否定され、生きることに疲れてしまうことがあ ります。

しかし、信仰者ダビデは言った。陰府にあっても、そこに主イエスがおられた。どういう事かでしょうか。それは、主イエスはあなたを見捨てないという事で す。あなたが火の中、水の中にあっても、わたしはあなたと共にいる、恐れるな。わたしはあなたの神だ。例え母親がわが子を忘れようと、わたしはあなたを忘 れないと仰せられるのです。

だが神が愛であり真実なお方なら、何故、私にこのような悪い事が起きるのか、何故、私の家族に悲しい事、辛い事が起きるのかと考えてしまう。しかし、神の 真実とは私たちの人生が順風満帆に行くことではなく、神の真実は祈る事も、顔を上げることも、嘆く事もできない、私の人生が壊れてしまうぐらいになったと しても、そこに主イエスはいてくださる、これが神の真実です。

主イエス様は十字架につけられ陰府にくだり三日目に復活してくださいました。陰府から返ってくださった。まさに「よみがえり」です。ダビデは「命のある限 り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(詩編23:6)と言った。神の恵みと慈しみは陰府にまで 追いかけていきます。そして、私を陰府から救い出して、陰府がえりの新しい人生を与えてくださるのです。神は決して私を見捨てられることがないという大き な愛に感謝。