【主日礼拝メッセージ 】                                                             2016年2月28日 

 伝道する群れとして
     

使徒言行録3章11−26節

青木竜二牧師(中野バプテスト教会)

   ペトロとヨハネによって生まれつき足の不自由だった人がいやされ、自分の足で歩き出すという驚くべき出来事が起きました。いやされた男の人は神殿に入り、 喜び踊って神様を賛美しました。神殿に来ていた人々はその様子に驚き、周りに集まって来ました。その人々に向かって、ペトロが話し始めます。ペトロの説教 は、2章にも記されていますが、このペトロの二つの説教には、生まれたばかりのキリストの教会は何を語ったのか、何を告げ知らせる群れとしてキリストの教 会は立ち上げられたのか、そのことが良く示しています。キリストの教会が二千年の間語り続けてきたことは、このペトロの説教の中に語られたことなのです。 私たちがこのペトロのように語り始めるために必要なこと、それは第一に確信であり、第二に情熱であり、第三に単純さではないでしょうか。そしてこの三つは 全て、聖霊なる神様の導きの中で与えられ、備えられたものなのです。

 この説教は、いくつもの要素が前後してはいるのですが、大きく分けると三つの部分から成り立っています。
第一の部分は12〜16節の所です。ここでは、足の不自由な男の人がいやされたのは、あなた方が殺したあのイエスの名によるのであるということが告げられ ています。そして次に17〜21節には、悔い改めて立ち帰れと勧め、再臨の希望を語ります。そして最後に22〜26節で、旧約からのつながりが希望を告げ ています。
 ここでペトロはいろいろなことを語っているように思うかもしれません。しかし、内容は実に単純なのです。主イエスは、旧約以来預言されてきた救い主、メ シアであり、この方は十字架の上で殺されたが復活し、今も生きて働き、私たちと共におられる。この方は終末の時に再び来られるが、その救いに与る為に、あ なた方は悔い改めて、主イエスを信じる者となりなさい、ということなのです。実に単純です。私たちは、この単純な福音の道筋をきちんとわきまえたいと思う のです。この単純なことさえしっかり身に着けたなら、後は自由に、自分が救われた者として、この恵みに生きている者として、自分の言葉で語り始めれば良い のです。