2000年1月30日

主日礼拝メッセージ

イエスに従う 

聖書: マタイによる福音書8章18-22節

イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者 たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」             

                       (マタイ福音書8章22節 )

【要 旨】

 先週の総会では新年度執事と会計監査が選出されました。今日のみことばは、教会とは執事・役員とは牧師ということについて学ぶことができます。

1. 向こう岸に行こう。

 これまでの大いなる御業を見聞きした人々はペテロの家におられる主イエスのもとに群れていました。その顔は等しく尊敬と感謝に満ちていたことでしょう。しかし主はこの美しい交わり、居心地の良い所から離れて、弟子たちに「向こう岸に行くように」促(うなが)します。何故でしょう。そこには早くから主イエスによる救いを求めて苦しむ人々がいたからです。主イエスにとって人の交わりよりも、神のふところ(新しい奉仕場)こそが真の憩いの場です。執事、役員、牧師の学ぶべき主のお姿です。

2. わたしに従え

 ある律法学者が謙遜にも主イエスに弟子志願をしました。主は彼に弟子たる者の生活を教え、献身の道を教えます。次に主イエスの方から「わたしに従え」と召された人がいます。するとその人は「先ずこの世で為すべきことを為し終えるまで待って下さい。」と断ります。しかし主は、神の時を人の都合で無視してはいけないと言われました。この2人の人と主イエスの対話をあなたと主との対話としてこの礼拝はあるのです。あなた自身が主イエスに応答しなければなりません。信徒(弟子)の道を歩むべく応答の時です。


【本 文】  イエスに従う 

 

 先週の礼拝後、私たちの教会は新しい年度のために大切な3つの議題を主イエス・キリストの父なる神の御前で語り合い、祈りの内に決議しました。その一つに教会主題と聖句が与えられました。これについては後日与えられる御言葉を通して学ぶことになるでしょう。今ひとつは会計監査という大切な仕事のための奉仕者が与えられたことです。教会の財政は献金によって成り立っています。これについても私たちは教会研修の中で学ぶことになると思います。今日は与えられた御言葉から、会計監査と共に、3つ目の議題である執事選挙を振り返りながら、教会員とは何か、執事とは何か、牧師とは何か。どうすることがイエスさまに従う道なのか、と言うことについて学ぶことが出来ます。

1.  向こう岸に行こう

 主イエス・キリストの周りには大勢の人々が群れています。人々は1−17節までの出来事を目撃したから、どの顔も主イエスに対するあこが憧れと尊敬の表情であったと思われます。人々はいつまでも主イエスのそば近くにたかったでしょうし、主イエスにとって、そこはとても居心地の良い所であったに違いありません。人情としてはいつまでもいたいのです。しかし、主イエスは敢えてそこを離れて向こう岸に行こうと、弟子達をうなが促します。その家はガリラヤ湖のほとり畔にありました。ペテロは漁師ですから船もあります。しかしそれにしてもこれから船に乗るには適当な時間とは思えません。もう夕方なのです。イスラエル旅行をなさった方はガイドさんから説明を聞いてお分かりのように、この湖丁度すり鉢の底のような地形の中にあります。普段は穏やかですが、天候の具合や、夕暮れになると、猛烈なしけ時化に襲われます。プロの船乗りでも恐れるほどです。イエスさまもガリラヤでお育ちになったのですから、そんなことは先刻承知しておられるはずです。それなのにどうしてそんなに急ぐのでしょうか。明日では駄目なのでしょうか。そもそも何をしに行かれるのでしょうか。

 その理由は二つのことが考えられます。神に仕える者は、有名になればなるほど、人の群れから離れることが必要なのです。人気は神の人さえも、その人気に溺れて神よりも人の誉れを求める者へとなり下がってしまう危険があるのです。だから、それを戒める意味で、主イエスご自身、敢えて人を離れて神のふところ懐に帰る道を選ばれました。聖歌の中に「キリストには替えられません。有名な人になることも、人のほめる言葉もこの心を惹きません。世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け。キリストには替えられません。世の何ものも」と歌われている通りです。もう一つの理由は神の懐とはどこかと言うことを私たちに考えさせてくれます。23節以下に見るように、案の定湖は荒れ狂いました。それでも主イエスを乗せた船は引き返す道を選ばず、その嵐を踏み越えるように前進します。何故なら湖の向こう岸には悪霊にとりつかれた二人の人がイエスさまの救いを待ち望んでいるからです。主イエスは既にペテロの家で大きな働きをなさいました。今晩はゆっくりとお休みになっても良いのです。人々もそう願っていたでしょう。しかしイエスさまは人のほめる言葉も、感謝の言葉も全て父なる神の耳に届くことで満足し、心は既に次の奉仕の場へと急いでいます。イエスさまにとって神の懐とは、新しい奉仕の場のことなのです。彼を待ち望む人の下へ行くことなのです。

 私たちの弱さは、「キリストには替えられません」と歌いながら、心のどこかで有名な人に憧れたり、出来ることなら自分自身も有名な人になりたいという、誘惑を感じてしまうのです。教会員とは何者でしょうか。執事・役員とは何者でしょうか。牧師とは何者でしょうか。このイエスさまの足跡から十分に学ぶことが出来ます。これがイエスさまに従う道です。

2.  わたしに従いなさい

 人の群れから離れ去ろうとするイエスさまを見て、それでも離れがたい人が言いました。「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも参ります」。けなげ健気なことを言う弟子志願者です。この人は律法学者です。聖書の学者なのに、何と謙遜な申し出でしょうか。イエスさまの答えは「イエス」でも、「ノー」でもありません。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。この言葉を聞いたこの人はその後どうしたのでしょうか。分かりません。それはあなたが答えなければならないことだからです。今そこの席に座っているあなたの心がもしかしたら、イエスさまにこのような囁きをしたのではありませんか。そしてイエスさまもあなたにこのようなお言葉をあなたの心に囁かれたのではありませんか。だから、これから先、あなたがどうするか答えなければなりません。

 このような弟子志願者がいるかと思ったら、そのかたわ傍らに立つもう一人の人がいます。この人ははっきりと弟子の一人であると書かれています。しかし、ルカ9:57−62によると「別の人」と書かれているだけで、弟子であったと明言していません。しかも、イエスさまの方から先に「わたしに従いなさい」と招かれました。この招きに対して「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と、少し丁寧な順序を踏んだ書き方をしています。しかしマタイにしてもルカにしても「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」と言う、イエスさまのこの言葉はわかりにくいです。これはどう言う意味でしょう。死者が死者を葬るなど不可能なことです。きっと深い意味のある言葉に違いありません。翻訳の仕方に依るのかも知れません。大抵の聖書は「死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」と言う口語訳に近い訳し方をしています。英語の「モータル」(Mortal) と言う単語は「人間」と訳しますが、厳密には「死すべき者」という意味だそうです。主の弟子として選ばれ、招かれたこの人の父親は、多分まだこの時は元気でぴんぴんしていたことでしょう。では何故このような言い方をしたのでしょうか。主の弟子としていつかは従いたい。しかし、今ではないのです。子どもとして親に対する責任を果たしてからでも遅くはない。少なくとも彼はそう考えていました。親孝行の限りを尽くし、天寿を全うして貰い、それから主イエスに従っても良いのではないか。彼はそう考えていたのです。クリスチャンになる時間割は自分が決めるというのが、この人の信仰姿勢であったのです。教会の役員として働く時期は私が決めると言うのが、この人の聖書理解であったのです。牧師、伝道者として立ち上がるタイミングは私の人生のスケジュールと相談した上でと言うのが、この人の召命理解であったのです。しかし、イエスさまの選びと招きは待ったなしです。いつも「今」なのです。「死人を葬ることは死人に任せよ」と言われます。「親の死に目を待つあなたも死すべき運命の下にあることを忘れるな。あなたの為すべき事は、今、イエス・キリストを救主と信じることである。今、教会の役員として、天の父なる神とキリストの教会に仕えることである。今、福音のために、もっと多くの死を待つ人の下へ行き、わたしの名によって福音を伝える伝道者・牧師として献身することである」と言っておられるのです。この招きにどう答えたかについても聖書は何も書いてはいません。何故ならこの招きこそ、今そこの席に座っているあなたを招いておられるからです。答えるのは聖書の中のこの人であり、今そこに座っているあなたであるはずなのです。

 

祈りましょう。 

 天の父なる神さま、今朝の御言葉を感謝します。イエスさまは、大きな働きをした直ぐ後に、早くも湖の向こうで救いを待つ人への愛を示す歩みを始められました。私たちもまた、この主の深い愛に倣い、人のほめる言葉にいつまでも酔うのではなく、もっと多くの苦しむ人々の所に出て行って、奉仕する者とならせて下さい。そこにこそあなたの懐があることを教えて下さったことを感謝します。また、あなたがお建てになった地上の教会で、あなたに仕えるべき時は、今を置いて外にないことを教えて下さいました。自分の都合を優先していた私たちをおゆるし下さい。今、あなたを信じてあなたに仕え、あなたに従って参ります。この教会のメンバーを憐れみ、祝福して下さい。私たちの主イエス・キリストの御名によってお願い申し上げます。アーメン。                                                                


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