2000年4月2日

主日礼拝メッセージ

沖へ漕ぎ出し、漁をせよ 

聖書: ルカ5章1〜11節

 
                   メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】  

  群衆がガリラヤの湖畔におられるイエスに押し迫って来ます。イエスは漁師の一人に舟を少し漕ぎ出してくれるようにと頼むことにしました。そうでもしなければ彼の居場所がなくなるからです。彼は舟の上から天国の話をされました。どんな話か知りたいところですが、聖書は話が終わった後のイエスと漁師(シモン)の出会いに注目してそちらの方に話を進めています。イエスは彼に「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と一応は反論めいたことを言った後、すぐに「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と従いました。すると大漁でした。 新年度です。入園、入学、入社と新しい事ずくめの季節です。しかし新しい環境に入る私たちは以前と同じ私です。初めは新鮮で張り切っていても、私というものが本質的に変わらない以上、次第に疲れてきます。5月病はそうした人に症状として現れてくるものです。古い私のままで心機一転は不可能です。まず「お言葉」に聴き、語って下さる主イエスによって新しくされて、「沖へ」(未知の世界)出て行きましょう。礼拝は古い私を癒し、新しい私(罪の赦しと新生〕へと造り変えられる恵みの座です。ここから出発して初めて大漁(祝福された人生)を体験することができるのです。


【本 文】  沖へこぎ出し、漁をせよ 

               

 イエス・キリストがゲネサレトと呼ばれるガリラヤ湖の岸辺に立っておられた時のことです。群衆が「神の言葉を聞こうとして」押し寄せてきました。余りの数の多さに主イエスは岸辺に立っておれなくなり、漁師に頼んで舟を少し漕ぎ出してもらい、その上から天国のお話をなさったと言うことです。肝心のお話の中身は分かりません。むしろここではその後イエスと漁師の出会いの物語に、私たちの注意をひこうとしています。この漁師の名前はシモン・ペテロと言います。主は彼に「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは一応プロとしての意地を覗かせましたが、すぐに「しかし、お言葉ですから」と、イエスを乗せたまま沖に出て行き、網を降ろしました。するとどうでしょう。大漁ではありませんか。シモンは驚くと共に、イエスの足下にひれ伏しました。全能の主なる神の力に圧倒されて、自己の罪深さを心から悔い改めました。 2000年度の幕開けです。4月は入園、入学、入社と新しいものづくめです。しかし今のこの時、私たちは本当に新しくなったと言えるでしょうか。環境は一変したかも知れませんが、肝心の私は相変わらずの私なのではありませんか。ですから初めは新しい環境に対して新鮮な驚きを感じ、張り切るのですが、私の本質は依然と少しも変わっていないので、緊張が増し、その内に疲れてきます。こうして5月病にかかってしまうのです。古い私のままで、心機一転新しいことに挑戦してもストレスがたまるばかりです。先ず私の内側から新しくしていただく必要があるのです。「沖に漕ぎ出して、網を降ろして漁をしなさい」という御言葉が必要なのです。「お言葉ですから」と言いながら、この方と共に沖(未知の世界)に出て行くのと、自分だけで出て行くのとでは、同じ努力をしても、結果は天と地ほどの開きが出来るのです。祝福された人生は、先ず聴くべき言葉に耳を傾けるところから始まります。今日聴くべき「キリストの言葉」は、いつどこで聞けるのでしょうか。それは1週間の始まりの日、「日曜日」(教会ではこれを復活された主イエス・キリストを記念して「主」と呼んでいます)です。「キリスト教会」でささげられている礼拝です。日曜日はあなたの一週間の勝敗を分ける大切な日です。どこに行くよりもまず教会に来てささげる礼拝こそが、「大漁」(祝福された人生)を経験するただ一つの道です。教会の皆様にお伝えしたいことがあります。あの漁師たちの内、ある者は既に舟を陸に引き上げて明日のために網を洗い、またある者は網の繕いなどをしていました。全ては「明日こそ」と状況の変化に期待していました。しかし主イエスは漁師たちに「舟を少し出して下さい」とお願いして更にその後もっと沖合へと彼らを伴って、大いなる神の全能を経験させました。

 私がお伝えしたいことは、もしあなたが祝福された人生を望むなら礼拝を第一としなさいと言うことです。祈祷会に出席する時間を何とか工夫しなさいと言うことです。礼拝にも祈祷会にも出席しようとしない生活スタイルは、一週間あなたの人生の舟に、イエスさまが一緒にいて下さらないのと同じです。「私は教会には行かないが、イエスを忘れたことは一度もない」と力説できる方を人は誰も非難しません。ただこのことは忘れてほしくないのです。イエスさまは、私たちが独りぼっちの孤独な信仰生活を送らなくても良いように、この地上に「私の教会を建てる」と仰いました。教会とは「キリストに招かれた群れ」という意味であることをあなたは既にご存じだと思います。愛し合い、支え合い、助け合うことができるようにと言うご配慮です。皆様の上に神の祝福がありますように。

お祈りしましょう。

天の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美します。主イエスはシモンに「わたしと一緒に沖に出て行こう。一緒に漁をしよう」と言って下さいました。そこからシモンの祝福された人生の第一歩が開かれました。主よ、どうぞ私たちにも同じ御声をかけて下さい。そして今日から始まる新しい年度の第一歩をあなたと共に歩み出す者として下さい。私たちの主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


福音メッセージ一覧

集会案内

質問・メール

キリスト教イロハ

聖書を読む