2000年5月28日
主日礼拝メッセージ
働き手が少ない
聖書: マタイ9:35-38
                  メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】  

今日与えられたみことばから、私たちは天の父なる神の独り子イエス・キリストがどうしてこの世においで下さったか、その理由と目的を知ることができます。

1 神の愛の動機

 ものの本によると、イエス時代のユダヤ社会は未曾有(みぞう)の経済的不況に喘ぎ、国中に失業者があふれていたそうです。どおりでイエスの行く所どこも人で溢れていたはずです。イエスはその人々の魂の奥底から発せられる叫びに耳を傾け、これに答えて下さいました。町々村々を精力的に巡って癒しの御業、御国の福音を宣べ伝えなさったのは、イエスこそ神が備えられた真の羊飼いだからです。ここに神の愛の動機があります。

2. 神の愛の目指すもの

 イエスは「働き手がすくない。だから収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい」と言われました。救いを求める魂はここかしこにいます。そうした中から救われた人々に向かって、このように祈れとお命じになります。これはどういう意味でしょう。受けるものから与える者になれという主の御心なのです。収穫の主は収穫の為に刈り入れ作業(伝道)に加えられる者を備えておられるのです。もしかしてそれはあなたなのかもしれません。神の愛は人をサービスを受ける者から与える者へと成長させる力があるのです。


【本 文】  働き手が少ない 

  

 今日の御言葉から、私たちは天の父なる神の独り子がどうしてこの世においで下さったか、その理由と目的を知ることが出来ます。理由としては、この世は余りに多くの無力な人々が羊のように、飼う者もないまま、弱り切っている状態にあることにお心を痛められたからです。目的としては、だから疲れ切ったこの世の人々を神の愛の懐に導く働き人を育てることにあります。

 

1.  神の愛の動機

 浜の真砂は尽きるとも、飼う者がいないために疲弊している国民は古今東西、絶えることがありません。企業のトップが会社を倒産に追い込み、そのために多くの従業員とその家族が路頭に迷っています。教育の現場で何が教えられているのか、学校は荒廃の危機に曝されています。市民を守ってくれるはずの警察は身内に甘い体質を解消出来ません。一国の総理が21世紀を迎えようと言うこの時代に「主権在民、平和主義、基本的人権」を理念とする日本国憲法に真っ向から挑戦する「天皇中心、神の国」発言を撤回する意志がないことを明言しました。

 エゼキエル書34:1(旧約p.1352)以下にはこのように書かれています。

 聖書の国イスラエルにしてこのような状況でした。預言者エゼキエルの時代から降ることおおよそ500年、神はこの国の民を愛する心止みがたくその独り子イエス・キリストを与えて下さいました。イエス・キリストは、時代は変わっても変わらない罪深い人の心を一方で嘆きながら、飼う者もなく弱り果てている国民を深く憐れんで下さいました。ヨセフスの「ユダヤ古代史」と言う歴史書によれば、イエスの時代のユダヤ社会は史上まれにみる経済難で、不況に喘いでいました。国中に失業者が溢れていたそうです。どおりでイエスの行くところどこも人で溢れていた事情が察せられます。人々は真の指導者を求めていたのです。イエス・キリストは人々の魂の奥底から発せられる叫びに耳を傾けて、これに答えて下さいました。彼らを深く憐れみ、町々村々を精力的に巡って癒しの御業、御国の福音宣教をなさったのは、イエスこそ神が備えられた真の羊飼いだからです。王なるキリストだからです。ここにこそ神の愛の動機が見えてきます。

 

2.  神の愛の目指すもの

 先週議事堂の向かい側にある衆議院議員会館内で「教会と国家」学会という集まりに出席しました。牧師で、民主党員の土井隆一氏の名前で会議室の一つを借りてその集まりは持たれました。クリスチャンで参議院議員の竹村泰子氏も顔を出しておられました。竹村さんと言えば当選以来ずっと自室で、毎週超党派のクリスチャン議員に呼びかけて聖書研究と祈祷会を実行してこられた方です。話を元に戻して当日のメイン講師は「外務省国際情報局分析第一課主任分析官」と言うジュゲムジュゲムのような、一度では覚えきれない長い肩書きの佐藤優と言う方でした。この方は自己紹介によれば、同志社大学神学部を卒業後外務省に入省し、当時まだ崩壊前のソ連及びチェコスロバキア、そして東ドイツを主に担当していたそうです。そうした関係から神学的にはニーバーから始めてボンヘッファ、K・バルトの研究を続けて、その後フロマートカ神学に傾倒していると言うことでした。

 小難しいことはこの際省略して、要するに彼がここで言いたかったことは、教会はいつも少数派であれ。弱者の立場に身を置いて福音宣教に邁進せよ。政治に無関心であってはならない。そして決して権力者の側にすり寄ったり、身を置いてはならないと言うことでした。講義内容全てに理解できたわけでもないし、同意できたわけでもありません。むしろ尋ねたいこと、確認したいことも少なくありませんでした。しかしそれはともかく、外務省の役人の中には昔からクリスチャンが少なからずいたことは聞いていましたが、ここにもきわめて制限された中で、自分の信仰を前面に出し切っているクリスチャンが一人いることを素直に喜びたいと思いました。早速教会員の豊田尚吾兄弟を売り込んでおきました。お陰で彼の所在を正確に知る手だてを聞き出すことが出来ました。土井氏、竹村氏、佐藤氏、そして豊田尚吾兄達クリスチャン政治家、クリスチャン官僚が祈りと知恵を一つにしてこの国の疲弊した小羊である国民を正しく導いてほしいと心に祈りながら帰途につきました。

 まことに立法府、行政府の中に魂の叫びに耳を傾ける働き人の少ないことを思います。それ故に教会に与えられている使命もまた重大です。主イエス・キリストは「働き人が少ない」と言われました。「だから、収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい」とも言われました。働き手、う有い為の人材をあなた方の手で作れとは言われません。働き手を送って下さるように祈れと言われました。疲れた魂に憩いと生きる力を与えることの出来る働き手は神が備えておられるのです。だから私たちはひたすらそのために祈る者でなければなりません。

 神が備えておられる働き人、それはもしかして私たち自身かも知れません。私たちは今日礼拝に来ました。この世での厳しい戦いに疲れ果てています。だから慰めを求めてきました。人生には不可解なことが多すぎます。どうしたら謎だらけの日々に答えを見出せるかと、ひたすら求めてきました。あなたも疲れているのです。だから今主の憐れみにすが縋りたいのです。すがりましょう。しかしそのような祈りを繰り返しながら、求めて教会に来ている内に、神さまのなさる不思議な御業もまた見えて来ます。私たちはこれまで、この世で自分だけが一番不幸で、一番かわいそうな人間と思っていました。しかしそうではないことに気が付きます。不幸や辛さを誰かと比較する事の中から解決や癒しを得る道は見出せるものではありません。せいぜい「あなたの悲しみや辛さなんか、私にくらべれば、まだましだ」と言う傲慢の罪に陥るのみです。今朝私たちに求められているもの、それは自分が今経験している様々な悲しみや不幸と思える一つ一つのことを通して、隣に座っている人の悲しみや辛さに心の目が開かれることであります。そして自分中心の祈りからその人のために執り成す祈りへと導かれることです。そうすればごく自然に「収穫の主に、収穫のための働き人を求める」祈りとなり、更にはその働き人の一人に加えられている自分を発見することでしょう。これが神の愛の目指すものなのです。

 この世には祈りの課題が一杯横たわっています。私たちも主イエス・キリストと共に、この恵みの業に加えられることによって、期待以上の幸福を得ることになることを信じてこの方に従って行きましょう。

 

祈りましょう。

憐れみ深い天の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美します。

 今朝私たちは礼拝に来てあなたの御言に触れるまでは、この世の中で自分ほど不幸な者はいないと、心密かに思い込んでいました。しかし、イエスさまの回りには何十人、何百人の人で溢れ、いや世界中の人が満ち溢れてあなたの救いを求めていることを知らされました。私たちは今からもう人と悲しみや辛さを比べ合うことをやめます。私という一人の人間があなたと向き合って、自分のためだけでなく、隣の誰かのためにも祈る者となりたいと思います。これこそあなたが求めておられる「働き手を得るために祈る」ことだと教えられましたから。これこそイエスさまが私たちのために先ず十字架への道を歩んでくださった理由であり、目的であることを知りましたから。

私達の主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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