2000年6月4日
主日礼拝メッセージ
聖霊降臨の約束
聖書: 使徒言行録1 : 6〜11 

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。    (使徒言行録1 : 8)

                  メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】  

 復活のイエスに出会った弟子たちは、いよいよこの地上に 「神の国」が出現する時期が近いと感じました。しかし彼らの考える「神の国」論は力の論理から自由ではなかったのです。世界の覇者ローマの圧制と国民から支持されていない領主ヘロデの政権を覆すヒーローとしてイエスに期待していました。イスラエルの「建て直し」は「革命政権」の樹立と理解していたようです。確かにイエスは主の祈りを教える中で、「御国を来らせ給え」という言葉を用いられましたし、弟子たちの言う「イスラエルの建て直し」も表現として否定されたわけではありません。それは革命と言って良いでしょう。しかしイエスの革命は武力によるものではなく、「愛」による革命です。

 「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われました。イスラエルとは「神に支配された人々」という意味があります。聖霊が12弟子に降る時、彼らは一民族、一国家のみが救われて神の民イスラエルとされることを願う者ではなくなり、対立するユダヤ人もサマリヤ人も、さらに地の果ての人々まで巻き込んでイエス・キリストの福音によって神の救いに入れられるようにと奉仕する器と変えられるのです。新しいイスラエル、それは地球上の全てが神の子イエス・キリストの支配を喜ぶ者とされることです。即ち教会の一員とされることなのです。


【本 文】  聖霊降臨の約束 

          聖書:使徒言行録1:6〜11(p.213)

                         メッセージ・ 高橋淑郎牧師                 

 

 イエス・キリストは十字架の苦しみを経た後3日目に甦り、尚40日間弟子達と共に過ごされました。弟子達は十字架以前の生活を再び取り戻せたと喜びました。今こそ「イスラエルのために国を建て直して下さる時」が来たと考えたのです。国を建て直すとは何でしょう。文字通りに読むと「リストラ」、まさに建て直しです。弟子達の目にイスラエルの現状は政治改革や教育改革、或いは経済再建などでは間に合わないところまで来てしまっていると言う認識です。ただ政治的に独立すればよいと言うものではありません。ユダヤ人は「神権政治のイスラエルよもう一度」という遠大なビジョンを永年温めていました。主の祈りの中にも「御国をきたらせ給え」とあります。イスラエルがイスラエルらしくあるためにこの国は「神の国」でなくてはならないのです。そのために取り敢えずは力ずくでローマの圧制を跳ね返し、国民の支持もなく政権の座にあるヘロデをその座から引きずり降ろすヒーローとしてイエスに期待しているのです。革命政権を樹立するのは今をおいてないと考えたのです。イエスは確かに主の祈りの中で「御国をきたらせ給え」と祈るように教えました。また、弟子達が言う「イスラエルの建て直し」の必要も認めておられます。まさに革命は必要なのです。しかしイエスの目指す革命後のイスラエルは弟子達の目指すそれとは決定的に違います。イエスの革命は「武力による」ものではありません。「愛の革命」です。

 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とイエスは言われます。

 イスラエルとは「神に支配された人々」という意味です。それはユダヤ人に限定されるものではありません。聖霊が弟子たちの上に降るとき、彼らが受ける力は人を殺戮する死の力ではなく、神の命溢れる人を生かす力となるのです。一民族、一国家のみが救われて神の民イスラエルとされるのではなく、憎悪の念で対立する関係にあったユダヤ人とサマリヤ人が、神の選民と自負するユダヤ人と神の子イエス・キリストも聖書も知らない地の果ての人々が一つのイスラエルとされる愛の革命の戦士とされるのです。使徒言行録6:7(使 6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。)を読んで下さい。エルサレム教会が誕生し、その基礎が固められています。9:31(使 9:31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった)を見て下さい。ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ地方に教会が増え広がっています。福音はユダヤ民族の枠を超えて地の果て目指して広がりを見せ始めています。キリストにあって教会は世界を支配するに至りました。それはあくまで非暴力による支配です。1発の大砲を撃ち込むこともなく、ただ神の言葉の剣によって、人々の良心を刺し貫き、悔い改めへと導いた結果です。

 イスラエルの建て直しとは新しいイスラエルの創造です。それは地球上の全ての人がイエス・キリストの支配を喜ぶ者とされることであることは、すでに使徒言行録自ら証言しているのです。それをなさしめたのが聖霊なる神の御業なのです。しかし今なおこの神の御業を知らぬ人々がいます。20世紀を後7ヶ月弱で閉じようとする今日、尚も一民族、一国家の枠に閉じこもり、世界のあちこちで宗教対立という名の下に民族紛争がいつ果てるともなく続いています。我が国においても「この国は天皇中心の神の国であることを国民にしっかり認識してもらいたいと考えております」という我が国の総理大臣が現にいます。日の丸掲揚と君が代斉唱を強制することで愛国心を培えると錯覚する文部省が存在しています。その内に皇居遙拝さえ言い出しかねません。「三国人」発言をする都知事がいます。10代半ばの子どもによる犯罪が後を絶ちません。加害者も被害者も心がずたずたに引き裂かれて傷ついています。癒しを求めているのです。このような国に、このような人々に教会は何を与えることが出来るのでしょうか。聖霊による平和の福音、神の愛による慰めの御言だけがそのような人々に、本当の癒しを提供できるのです。なぜなら教会だけが聖霊を体験し、神の命に生かされているのです。聖霊以外に愛と赦し、平和と永遠の命の希望を与えることの出来る神はこの世にいないのですから。

 祈りましょう。

 全能の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美します。ペンテコステを1週間後に控えた今朝私たちは、あなたから「聖霊降臨」の約束の御言をいただきました。そして今私たちは既にその約束が果たされ、ペンテコステを経験したあの12使徒を通して生まれた教会に生きる者です。聖霊がおいで下さったことによって、世界は神の愛に生きるイスラエルとなるはずですのに、相変わらず民族と民族、国家と国家が互いに挑み合っています。人は人を傷つけ、傷ついています。このような時代であればこそ、一層あなたの約束が完全に成就されることを祈る私たちです。どうぞ、この世を憐れんで下さい。聖霊によって立つべき教会に御霊の一致と愛とこの世の救いのために祈る熱心をお与え下さい。私達の主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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