2000年6月18日
主日礼拝メッセージ
使徒とされた12弟子
聖書: マタイ10:1〜4 
              メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】  

 イエスの周りには大勢の求道者がいましたが、その内約70人の弟子がいました。夜を徹して祈られたある日、弟子たちの中から特に12人を使徒として選ばれました。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの二組の兄弟は漁師でした。フィリポとバルトロマイはギリシャ人と交流があり、その幾人かをイエスに引き合わせたことがあります。トマスとマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダと続いて紹介されています。皆それぞれ生まれも育ちも職業も異なっていますが、イエスにあって心が一つに結び合わされて、この後福音宣教を力強く展開して行く者と変えられていくのです。

 所でどうして使徒の数は12なのでしょうか。10でも15でも良いではありませんか。いいえ12なのです。これには2つの意味(目的)が秘められているのです。イスラエルは12の部族で構成されていましたから、12使徒から全イスラエルの救いの御業が始まって行くべきです。もう一つは12人が2人一組で使わされたことに注意しましょう。地球は六大州(アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、南・北アメリカ)から成っています。使徒たちから始まる教会の使命は全世界に福音宣教がなされ、全ての人が救われるようにという、大いなる神のご計画の器として用いられることにあるのです。

 


【本 文】  使徒とされた12弟子             

 

 の箇所は9:35−から続くお話です。飼う者のない群衆を見て深く憐れみ、そして12人の弟子を使徒としてお選びになりました。ルカ6:12では、主はその前日、夜を徹して祈られました。使徒の選任はイエスにとって緊張を覚える瞬間だったからです。使徒とは「派遣された者」と言う意味があります。しかも特別の権威が彼らに与えられました。それについては次週学ぶことにしましょう。

4つの福音書を補いながら読むと、当時イエスの周りには大勢の求道者が群れていました。その輪の中には70人を数える弟子と呼ばれた人々がいました。更にその70人の中から主は12人を選ばれたのです。どうして12なのでしょうか。

 旧約聖書の創世記にヤコブと言う人が登場します。彼は12人の男の子を設けましたが、神は人生半ばの彼にイスラエルという名をお与えになりました。その子孫がヤコブの子の名に因んで12の部族を形成しながらカナンに定住しました。この12の部族をもってイスラエルと呼ぶようになりました。ヤコブ個人に与えられた名前が国家の呼び名となりました。イスラエルとは「神に選ばれた者」と言う意味があるからです。イエスが12人の弟子に「使徒」という特別の使命をお与えになったのはこのような意味があったのです。

 最初にペトロとその弟アンデレが選ばれました。彼らは元々漁師でしたが、イエスから「人間をすなど漁る漁師にしてあげよう」と言って弟子にされたいつ逸わ話があります。12人の中で最初にイエスの弟子になったのはアンデレ(「男らしい」という意味)です。彼はすぐに兄のペトロをイエスに引き合わせました。ペトロの本名は「シモン」と言います。「聴く」と言う意味です。両親が「人の話も神さまの命令も良く聴くように」と期待を込めて名付けたのでしょうが、イエスは彼に「ペトロ」(アラム語「ケファ」のギリシャ語読み)と言う新しい名前を下さいました。「岩」という意味です。ふわふわした落ち着きのない生き方をやめて、イエスの弟子として「いわお巌のようにどっしりとした信仰の人になって欲しい」という期待が感じられます。

 次に同じく元漁師であったヤコブ(意味は「かかと踵をつか掴む者」)とその弟ヨハネ(意味は「ヤハウェは恵み深い」)の名が見られます。彼らは野心家で、天国に行っても側近としての地位を下さいと、イエスに直訴したことで有名です。また激しい性格の彼らに「ボアネルゲ、即ち雷の子」という名をおつけになりました。神の言葉を雷鳴のようにとどろ轟かせて欲しい」という期待が感じられます。彼らは確かにその後イエスの期待を裏切りませんでした。兄のヤコブは使徒の中で最初の殉教者になりました。弟のヨハネは後に「ヨハネによる福音書」や少なくとも「ヨハネの第一の手紙」と「ヨハネの黙示録」という数々の作品を新約聖書の中に残したなかなかの文筆家です。

 次にフィリポ(ギリシャ語名、意味は「馬を愛する者」)はギリシャ社会で良い証を立てていたのでしょう。実際ギリシャ人の数名をイエスに引き合わせたことでも知られています。

 バルトロマイ(ギリシャ語読みで「トロマイの子」と言う意味)は別名ナタナエル(意味は「神は与える」)と言って、イエスから誠実な人と一目置かれていました。トマス(意味は「双子」)はイエスの為には命を惜しまないと考えていましたが果たせませんでした。復活を信じられない彼でしたが、復活のイエスに手と脇腹の傷跡を見せられて、この傷こそ不信仰な私の罪の結果であったと悟り、「我が主、我が神」と復活を信じる告白をしました。取税人マタイ(意味不明)については既に前に礼拝で学んだ通り、元は官憲の手先、取税人として同胞の嫌われ者でしたが、主イエス・キリストによって信仰の覚醒を与えられました。

 アルファイの子ヤコブとタダイ(テオドロスの短縮形、意味不明)兄弟についてはマルコ15:40を見ると、もしこれが彼らのことであるとすれば、母もマリヤと言い、イエスの弟子であったようです。特にタダイは「ユダ」とも呼ばれていたようです。ヨハネ14:22で彼がイエスに質問をした時、著者は「イスカリオテでない方のユダ」と書いています。

 熱心党のシモンについて各福音書とも使徒のリストに彼の名を記録するだけで、外にはその名を見ることは出来ません。熱心党とはローマの圧制、そのかいらい傀儡政権のヘロデを力で倒すこと、そのためには流血も辞さないと言う国粋的政治結社であったことだけは分かります。それ以外私たちは彼について何も知ることは出来ません。聖書の著者が誰も彼について触れなくても、彼は確かに主に選ばれ、変えられ、そして使徒としてその使命を全うしたのです。

 残念なのはイスカリオテのユダ(カリオテ出身のユダと言う意味)です。イエスが愛すれば愛するほどユダの心は冷えてゆき、ついには修復不可能なまでに二人の関係は永遠に引き裂かれてしまうのです。

 イエスが彼ら12使徒を選ばれたのは、ヤコブの子孫であるユダヤ人を真のイスラエルとする為であったことは事実ですが、果たしてイスラエルの救いのプログラムはユダヤ人一民族に限定されたものなのでしょうか。不思議なことに彼らはイエスによって1人ずつ12カ所にというのではなく、2人1組ずつ6カ所に遣わされました。ある人はこの6カ所を地球的規模で解釈しています。イエスは弟子達をユダヤという限られた地域に限定するのではなしに、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南・北アメリカ、オセアニア等6大州と言う全世界を視野に置いて、全ての人を真のイスラエルとする遠大なビジョンを既にお持ちであったのではなかったかと言います。

 私はこの解釈を必ずしも突飛な事と一笑に付すことは出来ません。ヨハネ3:16を読むと、まさにそうなのです。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」12使徒の選びはこの地の果てに住む私たちを愛し、私たちを救うための神の遠大なご計画でした。驚くべきご計画でした。感謝の祈りをささげましょう。

 私たちはこの午後「みなと町健康互助会」から早川氏をお招きして今年度第1回「在日外国人の人権」学習会を持とうとしています。神の愛が既に2000年も前からアジアに届いているのに、私たちの政府も国民各層も、同じアジア人に対して余りにも厳しい政策から自由になれません。クリスチャンの中にさえ、止むを得ずビザを取得できない者や難民認定を希望しながらその枠が余りにも狭くてその恩恵から閉め出された者までも含めて十把一絡げに「不法滞在者」のレッテルを貼ってしまう者がいます。納税の義務は負わされ、しかし国民健康保険や、様々な福祉から除外されているのが現状です。今日の学びを通して、先ず私たちの意識改革をしていただき、全知全能である神によってその道筋に光を与えられるよう、そのために私たちが何をしなければならないかをしっかり学び取りましょう。

 

お祈りします。

天の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美します。

今朝私たちは12人の弟子が使徒として選ばれたことを学びました。それは2千年前の出来事でした。しかしあの12人という人数は一時の思いつきでも、単なるイスラエル12部族という数に因んでの選びを超えて、この世に住む全ての民を救おうという、それほどの深い御摂理と広い御心があったことを知りました。この選びにはそのような意味があったことを知りました。主よ感謝します。

私たちはこの午後「在日外国人の人権」学習会を持とうとしています。主よ、今日の学びを通して、あなたの道筋をお示し下さい。彼らの健康が守られる糸口を教えて下さい。

主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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