教会学校月間礼拝メッセ−ジ要約】                           2000年9月3日

「御言を行う人になれ」

ヤコブ1:19〜25

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 今日は連盟主催の「教会学校月間」です。私たち日本バプテスト連盟はその発足以来「教会教育」と「伝道」に力を入れてきました。昔「教会学校」或いは「日曜学校」と言えば、せいぜい子どものためのものと思われていましたが、我が連盟では早くから聖書は全ての人に与えられた神からのプレゼントであるから、全ての人が学ぶべきであると理解して、次のようにその目的を定めました。

 「教会学校の目的は、全ての人がイエス・キリストを救い主と信じる信仰の告白に導かれ、生の全領域で主を証しする者とされる」と。

 これでお分かりのように、教会学校とは、ただ知的に聖書を学び理解するにとどまらず、その学びを通して一人ひとりがイエス・キリストを信じる喜びへと導かれ、また求道者には決心の機会となる事。またキリストの証人とされている事を喜びながらこの世に遣わされる事です。

 ヤコブは「御言葉を行う人になりなさい」と言います。人生を勝ち抜いて行くためには子どもも大人も御言葉の学びが不可欠です。礼拝後の分級は先ず礼拝メッセ−ジの応答から始めて下さい。礼拝から切り離された教会教育はあり得ないからです。次にその日与えられた聖書教育のカリキュラムに照らして礼拝メッセ−ジを咀嚼(そしゃく)して下さい。そうすれば信仰の実践の場であるこの世に出て行く為に必要な御霊の知恵と力が必ず与えられます。

 

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【礼拝メッセ−ジ】                                 2000年9月3日

「御言を行う人になれ」

ヤコブ1:19〜25

メッセージ:高橋淑郎牧師

 

私たちは「日本バプテスト連盟」という団体に加盟しているキリスト教会です。私たちの連盟は、結成当初(1947年)から宣教と聖書教育を車の両輪のように活動の軸にしながら、毎年9月を「教会学校月間」と定めてその啓発に努めています。今朝はこの事を心に留めて神さまからのメッセ−ジに耳を傾けましょう。

 

一、 聴くに早く(19〜21節)

 私たちは毎日曜日何の為に教会に集まるのでしょうか。一週間のストレス解消のためにと言う人、仲間に会えるのが楽しみと言う人、溜め込んだ話題を提供し、話に花を咲かせたいからと言う人、どこに行く宛てもないので退屈紛れに来たと言う人、反対に今日は疲れているので、本当は休みたかったのだけれど、礼拝の中で自分に割り当てられた役割があるから無理してきたという人等様々だと思います。どんな動機であれ、礼拝に来られた事実は尊いことです。良くいらっしゃいました。

 さて、先程司式者に読んで頂いた聖書はヤコブの手紙の一部分です。ここでヤコブは私たちが教会に集まって先ず為すべき事を教えています。それは「聴く」と言うことです。旧約の時代、預言者は会衆に「聴け」(ヘブル語で「シェマー」)と言う命令的呼びかけから説教を始めました。ヤコブも「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」と教えています。教会に来たら先ず神さまのお言葉に聞き耳を立てなさいと言うことです。私たちの教会には幾人かの方が既にこれを実践しているのを見かけます。私は礼拝に来られた一人ひとりに声を掛けるようにしていますが、時々恥じ入る経験をします。何かと申しますと、ある方は礼拝堂に入るとすぐにベンチに座って神さまにお祈りをしていらっしゃるのに、私はうっかり声を掛けて神さまとその人の間に割り込んでしまいました。私たちの教会が発行している「教会のしおり」p.49にも「礼拝の始まる10〜15分前には会堂内に入り、静かに礼拝に備えましょう」と書かれています。聴くに早く、語るに遅くあるべき事を改めて学んだ瞬間です。

 旧約聖書に「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました」(詩編119:11、口語訳)とあり、また新約聖書にも「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」(ローマ10:17、口語訳)とある通りです。教会に来ることの第一の目的は神さまのみ言葉を求め、み言葉に聴く心を持つことにあります。み言葉こそ私たちの魂を救い、私たちの罪を清める唯一の神さまからの賜物です。み言葉だけが私たちの心に覆い被さるストレスを解放し、疲れた魂を癒してくれます。

 

二、 自分の姿を忘れないために(22〜24節)

 この手紙の著者ヤコブの手紙は、ヨセフとイエスの母マリアとの間に生まれました。彼は主イエス・キリストが十字架に死んで甦られた出来事の後に信仰に入ったと言われています。しかしその信仰の成長は目覚ましく、第一回エルサレム教会会議の議長に選ばれ、見事な議事進行をした人です(使徒言行録15章)。彼は小さい頃からイエスの人となりを身近に見ていました。彼の目に映るイエスは常に言葉と行いが一致していました。行いは神の子に相応しく、信仰はその言動に裏打ちされていました。そこで全ての教会がイエスに倣うべきことを第一の目的にして欲しいと、この手紙を書き送ったのです。

 男でも髭を剃ったり、髪の毛に櫛をあてる為に、最低一日に一回は鏡を見ます。女性はどのくらい鏡と向き合うのでしょうか。このように私たちは殆ど毎日のように鏡に映る自分の姿形を見ているのですが、いざ自分の顔を描こうとすると、余り覚えていません。ヤコブは言います。あなたがたの聖書の読み方も、メッセ−ジの聞き方も怪しいものだ。み言葉によって自分の心の姿が丸写しされても聖書を閉じ、或いは礼拝を終えるとたちまち忘れてしまう。悔い改め無き心はみ言葉を聞くだけで、その通り実行しない人だというのです。

 聖書という鏡の中に映る自分の姿を忘れない秘訣があります。それが礼拝に引き続き持たれるファミリー分級です。教会学校という時間です。礼拝後の分級は先ず礼拝メッセ−ジの応答から始めて下さい。礼拝から切り離された教会教育はあり得ないからです。その日与えられた聖書教育のカリキュラムに照らして礼拝メッセ−ジを咀嚼(そしゃく)して下さい。咀嚼とは何回も噛み砕き、味わうことです。旧約聖書の中に、礼拝の時に、人々の罪の贖いとして献げるのに相応しい生き物のリストが上げられていますが、その一つに牛があります。牛は反芻(はんすう)する生き物だからです。一度口から胃袋に入れて、暫くしてからまた口に呼び戻して咀嚼する生き物として、皆さんもよくご存知の生き物です。神は私たちに牛に学べと言っておられるのです。神の御言葉を何度も何度も反芻して咀嚼しなさい。じっくりと味わいなさいと言う教育的配慮です。食べ物を良く噛むことは顎の筋肉を鍛えるほかに、消化を助けます。内臓を守ることにつながります。それだけではありません。良く噛んで唾液を内臓に送り込むことで、ガンを予防し、免疫効果を上げることにつながるそうです。良いことずくめです。何度も何度もみ言葉を良く噛みしめて味わいましょう。そして私たちの内に襲い来る霊的病原菌の侵入を防ぎましょう。試練に備えて免疫力を高めておきましょう。それによって私たちは信仰の実践の場であるこの世に出て行くために必要な御霊の知恵と力が与えられるのですから。

 

祈りましょう。

天の父なる神様、あなたの御名を崇め、讃美します。

私たちの教会に教会学校という学びの場を与え、また私たちの連盟に教会学校月間という節目を与えて下さっていることを心から感謝します。確かに私たちは鏡に映る自分の姿をすぐに忘れます。同じように、聖書に映し出された罪深く汚れた心、聖い神の御言葉をすぐに忘れてしまいます。そして世の誘惑に負けてしまう日々です。もしこの教会に礼拝に続く教会学校がなかったら、み言葉を反芻する機会がなかったら、私たちは一層惨めな敗北の人生を送ることになっていたことでしょう。教会学校は天のお父様から私たちへの贈り物です。これからも私たちを礼拝と教会学校を通して聖書を深くさとる者、この世で御言を行う者とならせて下さい。

私たちの主イエス・キリストの御名によってこの祈りをおささげします。アーメン。

 


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